大晦日から元旦にかけて、拙ブログの訪問者数が目に見えて増加した。おおかた30日に投稿した大瀧詠一がらみの記事(その日は彼の一周忌だった)か、過去の同種のエントリーが読まれているのだろうと想像したら、事実はさにあらず。アクセスが集中したのはかなり前に書いた別の記事だった。
→ルイーゼ・ライナー百歳→目覚めよ、そして歌え!どちらの記事も、グレタ・ガルボの好敵手と目された往年のハリウッド女優で、アカデミー主演女優賞を二年連続して受賞した
ルイーゼ・ライナー Luise Rainer を話題にしたものだ。戦後はスクリーンからは遠ざかり、半ば隠棲同然の生活を送ったため、生きながら伝説と化した人だ。
小生はたまたまロンドン滞在中、とある上映会で幸運にもルイーゼ・ライナーのトークショーに遭遇し、八十九歳の意気軒昂たる謦咳に接した思い出がある(1999年6月18日、リヴァーサイド・ステューディオズ)。その遠い記憶を蘇らせつつ、彼女のことを何度か話題にしたという次第。
そのルイーゼ・ライナーに関する記事に読者が集中する理由といえば、ひとつしか思い当たらない。彼女は亡くなったに違いないと直覚し、恐る恐る検索してみたら、やはりそうだった。"Guardian" 紙の訃報を参照されたい(
→これ)。
百四歳という天壽を全うした大女優に対して、哀悼の辞はおよそ似つかわしくない。むしろ並外れた見事な人生を称賛し、祝福すべきだろう。
たった一度の遭遇の記憶はかなり薄れてしまったが、シネフィル向けの小さな会場で彼女の主演作《
グレート・ワルツ》(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1938)の上映が終わると、舞台袖から六十一年後のご当人がいきなり登場し、往時の思い出を明晰な口調で語り出したのに驚愕し、ただもう無暗と感動したものだ。
映画史家との対談が終わると、客席から質問が出た。「よりによって1938年という時期に、古き良きオーストリアを舞台に映画を撮っていて、当事者たちはどういう心境だったのですか?」──そういう趣旨の問いだったと思う。《グレート・ワルツ》は「ワルツ王」ヨハン・シュトラウスの(史実に反する)伝記映画であり、ヒトラーによるオーストリア併合のさなかの製作にしては、余りに能天気な春風駘蕩たる内容だからだ。おまけに出演者にはオーストリア人が何人も含まれていた。
この答えにくい質問に対し、ルイーゼ・ライナーはちょっと困惑した様子だったが、しばしの沈黙の後こう言い放った。「
誰もが皆お伽噺の国の住人だったということね(They all lived in cuckoo-land.)」。
このようなハリウッドの現実逃避的なありように嫌気がさした彼女は、ほどなく映画界から足を洗い、半世紀に及ぶ長い隠棲生活に入るのである。