ロシアの挿絵画家・絵本画家
イワン・ビリービン Иван Яковлевич Билибин (1876-1942)はすでにわが国でも知る人ぞ知る存在だろう。彼の手がけた絵本は過去にいくつか日本語版が出ており、舞台美術家としての仕事も何度か展覧会で紹介されたことがある。
小生も関わった展覧会では、十年前に開催した「幻のロシア絵本 1920~30年代」展で、プロローグの部分で革命前の絵本を紹介する際、架蔵するビリービン絵本を展示したことがあり(《
麗しのワシリーサ》と《
サルタン皇帝の物語》)、それらの巧緻な美しさにうっとり見惚れる鑑賞者をしばしば目にした。
ごく最近の例では、20世紀のフランス絵本を特集した「ボンジュール! フランスの絵本たち」展(口にするのがちょっと恥ずかしい標題だ)に、亡命時代のビリービンが手がけた「ペール・カストール」絵本の原画が出ていたのが記憶に新しい。
その名がそれなりに人口に膾炙したビリービンであるが、画集や研究書となるとロシアなど諸外国に頼るばかりで、日本語で読める書物がこれまで一度も出版されていない憾みがあった。ところがつい先頃(奥付の刊行日は本日だ!)、永年の渇望を一挙に癒すような目覚ましいモノグラフが出現した。
田中友子/著
ビリービンとロシア絵本の黄金時代
東京美術
2014年9月30日刊 →表紙カヴァーこれは素晴らしく魅惑的な一冊だ。豊富なカラー図版と行き届いた懇切な解説によって、ビリービンのロシア時代の絵本の代表作が網羅的に紹介されていて圧巻である。頁を繰る指が思わず震えてしまう。
彼のデビュー作にして傑作の誉れ高い「ロシア昔話シリーズ」全六冊、すなわち《
イワン皇子と火の鳥と灰色狼》《
蛙の皇女》《
鷹フィニストの羽根》《
麗しのワシリーサ》《
マリヤ・モレーヴナ》《
姉アリョーヌシカと弟イワーヌシカ+
白い鴨》が網羅されている。それらの名場面のほぼすべてが本書に収められ、細部まで緻密に描き込まれた民衆的な魅力をふんだんに振り撒く。
かてて加えて、豪華本の体裁による秀麗な絵本《
サルタン皇帝の物語》と《
金鶏》が、更には極め付けの稀覯書である大判絵本の英雄叙事詩《
ヴォリガ》までが、見どころを余すところなく収録されている。
これを快挙と呼ばずして、どう表現したらいいだろう。
特筆されるべきは本書における印刷の再現度の高さである。
ビリービンの絵本の現物は20世紀初頭の多色印刷物の例に漏れず石版で刷られているのだが、ペテルブルグの帝室文書印刷局が技術の粋を集めて刷っただけあって、出来映えが途轍もなく精緻なのだ。刷り色は十二色を数え、微妙な中間色の諧調の響き合いが息を呑むほどに美しい。熱心なコレクターが大枚を叩いてまで高価なオリジナル絵本を追い求める所以である。
これらの絵本を現行の四色刷りオフセット印刷で再現しようとしても、原理的にどうやっても及ぶものではない。印刷方式が根本的に違うのだから仕方あるまい。これまで本国で幾度も出た覆刻版はいずれも色調がどぎつかったり、逆に沈んでしまったり、どれもオリジナルとは似ても似つかぬ姿に変わり果てていた。研究書や画集の類いもおしなべて同断であり、上述の日本版絵本に至っては「見ないほうがまし」というほかない惨憺たる印刷の仕上がりだった。
ところが本書はまるで違う。通常の四色オフセット印刷とは思えぬほどに、元の絵本の渋く玄妙な味わいが忠実に再現されていることに驚かされる。ビリービンのオリジナル版を手元に置いていつも玩味している小生がそう実感するのだから、これは掛け値なしに高度な再現性なのである!
そうなった理由は察しがつく。本書はまず上野の国際子ども図書館が所蔵する往時のビリービン絵本から主要ページを新規撮影し、その微妙な色調を可能な限り忠実に再現しているのだ。上に列挙したうち、《サルタン皇帝の物語》《ヴォリガ》の豪華絵本二冊は、同館が誇るとびきりの貴重書である。
時として同館が所蔵する絵本のコンディションが万全でない場合は、個人コレクターが秘蔵する絵本を借り出し、個別にスタジオ撮影を行っている。その証拠に、「ロシア昔話シリーズ」のうちの四冊(《ワシリーサ》《モレーヴナ》《鷹フィニスト》《姉と弟+白い鴨》)までが拙蔵書からの接写である。小生はその撮影現場に立ち会ったから断言できるのだが、百年以上の時を経て脆弱になった絵本を持参し、慎重にページを捲りながらの撮影は緊張の連続だった。こうして入念にデジタル撮影を行うことで、本書の高度な再現性は保証されたのだ。
だがその先にも難関が待ち受ける。美術出版に少しでも携わった者ならわかるだろうが、
紙に刷られた印刷物は、意外にも印刷での複製が難しいのだ。
デジタル・カメラはライティングの不手際や僅かな紙の色にも過敏に反応するため、元の絵本の紙質に起因する地色や経年変化による黄ばみが撮影時に誇張して記録される傾向があり、印刷されると全体が褐色がかったり、青灰色を帯びてしまいがちである(展覧会カタログでしばしば目にする現象)。
かてて加えて、昔の版画や印刷物には特殊な顔料で刷られた例が少なくなく、それらが微妙に異なった色調に変換されてしまう厄介な問題も生じてしまう。皮肉にも印刷物の再現が最も印刷に適さないという逆説的現象が起こるのだ。
この不可避な現象を回避するには、厳密な色校正を行うに如くはない。印刷所から届いた校正刷りを現物の絵本ページと突き合わせ、色調の偏りや僅かな違いを丹念にチェックし、的確な補正指示を行う。小生は校正の現場にも居合わせたので、それがいかに面倒で手間暇のかかる作業であるかを痛感した。
著者と編集者、デザイナーが一堂に会し、少しでも現物の色調に近づけようと知恵を絞る。各部分を彩る微細な色合いだけでなく、画面全体のトーン、更には紙の地色の再現性に至るまで、たっぷり時間をかけて比較検討し、校正紙に細かな修正指示を書き込む。どんなに努力しても完璧な再現には至らないが、それでも「やればやるだけ現物に近づける」有意義な作業工程なのだ。
・・・と、本書の制作過程を少しだけ瞥見した小生だが、こうして実物を手に取ると、想像以上に手のこんだ秀逸な仕上がりに快哉を叫びたくなった。
印刷の卓越は上に述べたとおりだが、図版の見せ方に工夫があって飽きさせない点にも感心した。ビリービンの絵本では、一ページ大の挿絵(
→《モレーヴナ》、
→《蛙の皇女》)から小ぶりのヴィニェット(小挿絵)まで、大小さまざまな場面が緩急自在に組み合わされ、それらと文章とが絶妙なバランスで配置されている。文章の冒頭には手のこんだ飾り文字が描かれ、それぞれの挿絵と文章の周囲を精緻な飾り罫が取り囲む──といった具合に、いくつもの構成要素が有機的に絡み合う「総合芸術」の趣を呈している(
→《ワシリーサ》冒頭ページ)。
本書はそうした魅力をページ丸ごと、見開き全体、個々の挿絵というふうに視点を変えつつ、さまざまに目配りしながら紹介していく。ヴィニェットに描かれた小風景や、飾り罫だけを特集したページまで用意され、ビリービン絵本の醍醐味を多角的に心ゆくまで追体験させてくれる。
忘れずに付け加えておくと、本書には刊行されたオリジナル絵本からの複写図版だけでなく、モスクワのロシア造幣局博物館が秘蔵するビリービン肉筆の絵本原画(水彩画)も随所で紹介されており(すべて初公開)、原画と刊行版挿絵とを比較する贅沢な愉しみも提供してくれる。ただし両者は驚くほど瓜二つなのだが。
ビリービンはセルゲイ・ディアギレフに連なる「
ミール・イスクストヴァ(芸術世界)」派の画家であり、その仕事は絵本や雑誌のイラストレーションだけでなく、舞台美術(バレエ・リュス第一回パリ公演にも係わった)、催事ポスター、絵葉書、演奏会プログラムのデザインなど多岐にわたり、「総合芸術」を標榜する同派に相応しい活躍を示した。本書では絵本作家ビリービンに留まらず、彼のさまざまな領域での仕事も一章を別に設けて紹介している。まっとうな見識というべきだろう。
またもや私事にわたるが、ビリービンが巧緻なデザインを施した「ロシア交響楽演奏会」プログラム小冊子(1905)を拙コレクションから紹介してもらえたのも、密かな歓びである(永らく宝の持ち腐れだったので)。
そうした章立ても含め、ビリービン芸術の全貌を手際よく一冊に封じ込めた編集上の創意工夫、行き届いた配慮には随所で感心させられた。ビリービンの味わいを尊重し、踏襲した装丁造本(=柳原デザイン室)も手のこんだ秀逸なものだ。
行き届いたという点では、田中友子さんのテクストもまた同様である。本書は恐らく彼女の最初の単著だろうが、すでにロシア絵本の翻訳をいくつも手がけ、大著『絵本の歴史』(朝倉書店、2011)ではロシア絵本の通史を担当し、同人誌『カスチョール』最新号に手堅い小論「ビリービンのおとぎばなし世界」を寄せているところからも、本書を書き下ろすのに最適の人選だったと思う。
田中さんはまず「
イワン・ビリービンの生涯と作品」と題された文章で、芸術家の生涯のあらましと作風の変遷を概観する。彼のロシア民話へのあくなき関心の由来や、「アブラムツェヴォ派」の民芸復興運動や、「移動派」のリアリズムとの係わりが平易に解き明かされ、後年のスタイルの急変、フランス亡命、晩年の帰国と痛ましい最期(戦時下のレニングラードで餓死)までが手際よく語られる。
空想的な民話世界でありながらリアルな細部に満ちたビリービン絵本について、
その作品の真髄はどこにあるのだろうか? おそらくそれは、非現実の世界を描いていながら現実世界と確かに繋がっている点にあるだろう。現実の断片はストーリーとは直接関係のない部分、例えば登場人物の背後に拡がる広大な森の描写や、季節や時間帯、湿度をも伝える空の色、太陽光線の具合などにも見出だすことができる。空想の世界と現実の世界、その二つが結びつくことで「もう一つの現実」が現れるのである。
と田中さんは的確に総括する。これこそまさに至言であり、ビリービン芸術の本質が初めて日本語で言い当てられた思いがした。この一文を読めるだけでも本書は繙かれる価値があろう。
この「生涯と作品」と並んで、本書の第二部の「
絵本以外のグラフィックデザインと舞台美術」と題する文章で、多岐にわたるビリービンの仕事が要領よく紹介されており、絵本と舞台美術とは共に総合芸術という点で互いによく似通っていると指摘される。最晩年に帰国を果たしたビリービンがエイゼンシュテインの歴史映画《イワン雷帝》の美術を担当する筈だった(!)のだが、その死によって果たせなかったという驚くべき挿話も紹介されている。
かてて加えて、本書では取り上げたすべての絵本に簡潔な粗筋と各場面の紹介が添えられるほか、「
ビリービンとロシアの民話」「
ビリービンとロシアの民衆芸術」「
ビリービンとジャポニスム」そして「
バレエ・リュスと画家たち」といった読み応えあるコラムがあちこちに設けられ、読者の更なる好奇心をかきたててくれる。まことに至れり尽くせり、痒いところに手の届く構成なのだ。
仄聞するところでは、田中さんは本書の執筆にあたって相当に呻吟されたのだとか。だが最終的にこれだけ行き届いた個人画集=モノグラフが仕上がったのだから、その労苦は十二分に報われたといえるだろう。
本書では末尾に第三部として「
ビリービンと同時代の絵本画家たち」──すなわちヴィクトル・ワスネツォーフ、エレーナ・ポレーノワ、セルゲイ・マリューチン、ゲオルギー・ナールブトの四人の手がけた絵本が手短に紹介されている。
これを親切な配慮とみるか、余計な蛇足とみるかは、人によって判断が分かれよう(小生は後者とみた)が、ビリービン活躍期のロシア絵本の状況を理解するうえでは有益なセクションといえる。ただし、どうみてもこの四人の力量は月並であり、それだけに却ってビリービンの比類なき才能が燦然と輝いてみえる、というのが小生の偽らざる感想である。
いずれにせよ、ビリービン好きに留まらず、ロシア文化に関心を抱く読者すべてに推奨したい好著である。ビリービンが北斎に倣って描いた大波(
→《サルタン皇帝の物語》挿絵)は、百年以上かかって遂に日本の渚にまで到達したのである。