つい先日、
クリストファー・ホグウッドの訃報が伝えられた。古楽器演奏にとんと疎い小生にとってすら、彼とその手兵アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックは親しい存在だったが、ここ十数年ほどの間に彼らのプレゼンスは何故か急速に後景へと退き、半ば過去の演奏家になりかけていた気がする。
清廉で実直な学究肌の解釈が飽きられたのか、より自在で闊達な演奏スタイルを志向する後続世代に凌駕されてしまったということか。かつて彼と並び称されたトレヴァー・ピノックやジャン=クロード・マルゴワールといった指揮者たちも、同様の不本意な運命に見舞われているように感じる。
古楽器演奏におけるホグウッドの功績については別のところで詳しく回顧されるだろうから、ここではむしろ彼が(意外にも)少なからず手がけた20世紀音楽の録音を聴いて、その偉業を密やかに偲ぶことにしよう。
"Stravinsky: Pulcinella - Dumbarton Oaks/ Christopher Hogwood"
ストラヴィンスキー:
協奏曲 変ホ長調「ダンバートン・オークス」*
バレエ音楽《プルチネッラ》**
ドメーニコ・ガッロ:
トリオ・ソナタ 第一番 より 第一楽章 モデラート***
トリオ・ソナタ 第二番 より 第一楽章 プレスト***
トリオ・ソナタ 第二番 より 第三楽章 プレスト***
トリオ・ソナタ 第七番 より 第三楽章 アレグロ***
ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ:
チェロと通奏低音のためのシンフォニア (全四楽章)****
クリストファー・ホグウッド指揮
セント・ポール室内管弦楽団* **
メゾソプラノ/ベルナデッテ・マンカ・ディ・ニッサ**
テノール/デイヴィッド・ゴードン**
バス/ジョン・オステンドーフ**
ヴァイオリン/ロムアルド・テッコ、トマス・コーナッカー***
チェロ/ピーター・ハワード*** ****
通奏低音チェロ/ジョシュア・ケーステンバウム****
チェンバロ/クリストファー・ホグウッド*** ****1989年1月、ミネソタ州セント・ポール、オードウェイ・ミュージック・シアター
Decca 425 614-2 (1990)
→アルバム・カヴァーバレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフは、座付き作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーに「イタリア各地の古文書館でペルゴレージの未刊手稿譜を探し当てた。君に委ねるからこれらを編曲し、換骨奪胎して新作バレエに仕立ててご覧」と唆した。正確にそう云った訳ではないが、事の次第は概略そういう成り行きである。こうして完成した《プルチネッラ》(1920)はピカソの写実的な舞台美術と相俟ってストラヴィンスキーの「新古典主義」時代の嚆矢となった。
本CDはその《プルチネッラ》全曲と、古典に範をとったストラヴィンスキーの探求における一応の完成形と目される協奏曲「ダンバートン・オークス」(1938)とを組み合わせ、彼の古典主義時代を総括する秀逸なアルバムである。
バロック演奏の旗手ホグウッドがオーセンティックな古楽器演奏家としての豊富な経験を踏まえて、ストラヴィンスキーの擬バロック様式をどう捉え、そのように解釈するのか。甚だ興味の尽きない一枚である。ライナーノーツでホグウッド自身が書いているように、彼はどちらの作品でも依拠する楽譜を吟味し、細部の異同を詳しく点検したそうだ。日頃から古典音楽に対するときと同様のアプローチで臨んだということだろう。精緻でバランスのとれた演奏スタイルはいかにもこの人らしく、ストラヴィンスキーの擬古様式とも相性がとても宜しいようだ。
本アルバムがとりわけ秀逸なのは、末尾に附録として《プルチネッラ》にディアギレフとストラヴィンスキーが嵌め込んだペルゴレージの原曲(ただし、多くはペルゴレージの真作でないと今では判明しているのだが)がいくつか収録されている点だろう。例えば《プルチネッラ》冒頭の明朗で潑剌たる主題は、
ドメーニコ・ガッロ Domenico Gallo なる作曲家(ペルゴレージより二十歳ほど年少)のトリオ・ソナタ第一番の第一楽章からそのまま採られている、といった塩梅。それら原曲のレアリザシオン(楽器配置・楽譜整備)は勿論ホグウッドの手になるものだ。
実に手のこんだ、というか、痒いところに手の届く、至れり尽くせりの配慮にほとほと感服する。バレエ音楽《プルチネッラ》を理解するうえで、この音源は欠かすことのできぬ根本資料といえるだろう。かてて加えて、バリー・S・ブルック(ニューヨーク市立大学のペルゴレージ研究センター)によるライナー解説は、従来この曲の成立について語り継がれてきた逸話(その多くは作曲者自身の叙述に由来する)にはいくつもの誤りが含まれていることを的確に指摘し、これまたストラヴィンスキー愛好家にとって必読文献である。
クラシカル・アルバムとはかくあるべしという手本のような一枚。学究ホグウッドの濃やかな配慮が隅々にまで行き渡っている。