前稿で遠くエディンバラまでオペラ《修道院での結婚》を観に赴いた折の些末な思い出を書いたら、なんだか俄然プロコフィエフが聴きたくなり、矢も楯も堪らなくなる。我ながら単純な行動心理であるわい。折角だからスコットランド勢の演奏で。
"Sergei Prokofiev -- Swensen/SCO"
プロコフィエフ:
古典交響曲
ヴァイオリン協奏曲 第二番*
五つの旋律 (独奏ヴァイオリンと弦楽合奏用、スウェンセン編)*
ヴァイオリン/ジョゼフ・スウェンセン*
ジョゼフ・スウェンセン指揮
スコットランド室内管弦楽団2003年3月15、16日、エディンバラ、アシャー・ホール
Linn Records CKD 219 (2005)
→アルバム・カヴァーこのディスクは昨冬にも紹介したが、改めて拙レヴューを再掲する。
このアルバムは今日かけたどのCDよりも古風で甘やか。特に新奇なプロコフィエフ像が打ち出される訳ではないが、のびやかで屈託なく、ヴァイオリンは随所でよく歌う。1960年生まれのニューヨーカー、スウェンセンは父方はノルウェイ系、母方が日系という出自のヴァイオリニスト・指揮者・作曲家。1996年からエディンバラを拠点とするスコットランド室内管弦楽団(Scottish Chamber Orchestra)の首席指揮者(現在は名誉指揮者)を務め、ほかにもモーツァルト、メンデルスゾーン、ブラームス、シベリウスなどのアルバムで協働している。そもそもプロコフィエフの協奏曲に指揮者を立てない「弾き振り」録音というのが珍しいのではないか。寡聞にして小生は他に類例を思い出せない。
本盤のメリットは「古典交響曲」と第二ヴァイオリン協奏曲が続けて聴けるところ。この曲順は同協奏曲が世界初演された1935年12月1日、マドリードでの演奏会と同じだ。当日は前半でハイドンの第八十八交響曲とバッハのヴァイオリン協奏曲が奏されたあと、後半で「古典交響曲」、そして新作のヴァイオリン協奏曲が披露された。指揮者はスペイン楽壇の最長老エンリケ・フェルナンデス・アルボス。「古典」のみプロコフィエフ自身が指揮台に立ったという。
その日の演奏会では最後を「三つのオレンジへの恋」の行進曲が締め括ったが、本盤ではヴァイオリン独奏のための「五つの旋律」が取り上げられる。しかも珍しくスウェンセンの手になる弦楽合奏の伴奏による新版である。これが聴けるだけでも価値の高いアルバム。さして評判にもならず忘れられているのは勿体ない。
そういう訳だ。改めて聴き直して、特に付け加えることは何もないが、あえて附言するならば、最後の「
五つの旋律」という楽曲の由来だろう。もともとロシア出身の名ソプラノ歌手
ニーナ・コシェツのために無歌詞のヴォカリーズ小曲集として書かれ(1920年秋)、その後ヴァイオリン奏者の親友
パウル・コハンスキの助言を得ながらプロコフィエフ自身がヴァイオリンとピアノ用に編曲した(1925年)。不思議なことに、作曲者は出版譜で全五曲のうち第一、第三、第四曲のみをコハンスキに献呈し、二曲目は
セシリア・ハンセン、五曲目は
ヨーゼフ・シゲティと、それぞれ別人に捧げている(そうなった事情は詳らかでない)。
・・・と、ここまでは既知の事柄に属する。プロコフィエフ好きならライナーノーツや評伝の記述などから疾うに親炙している伝記的事実だろう。
ところが「五つの旋律」にはもうひとつ、
プロコフィエフがソリストと管弦楽伴奏用に別ヴァージョン編曲をも書き残していたという新知見を得て、小生は「まだまだ知らないことばかりだ」と深く溜息をついたところである。
この情報は次のディスクを入手し、ライナーノーツを読むことで齎された。
"Concerto Parlando -- Philippe Graffin"
ドヴァリョーナス:
悲歌的小品「湖畔にて」
シチェドリン:
コンチェルト・パルランド (ヴァイオリン、トランペット、弦楽合奏のための)*
プロコフィエフ:
五つの旋律 (ヴァイオリンと管弦楽のための/作曲者&シチェドリン編)
チャイコフスキー:
ヴァイオリン協奏曲 (カデンツァ作曲/ウジェーヌ・イザイ)
ヴァイオリン/フィリップ・グラファン
トランペット/マーティン・ハレル*
ミハイル・アグレスト指揮
BBC交響楽団*
ロベルタス・シェルヴェニカス指揮
リトアニア国立フィルハーモニー管弦楽団2008年2月22日、ロンドン、BBCメイダ・ヴェイル・スタジオ1*
2012年4月2日、ヴィリニュス、リトアニア国立フィルハーモニー楽堂
Cobra Records COBRA 0040 (2014)
→アルバム・カヴァー本CDは聴きどころ満載であり、まずロジオン・シチェドリンの新作「コンチェルト・パルランド」の英国初演(BBC放送)が収められている点が重要だろう。これはグラファンの委嘱作であり、ショスタコーヴィチの第一ピアノ協奏曲の顰みに倣ってヴァイオリンとトランペットを独奏としたユニークな協奏曲である。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も、これまで知られていなかったウジェーヌ・イザイによるカデンツァを用いた、これまた世界初録音。シチェドリン以外の曲はリトアニアのヴィリニュスで収録されており、その誼みからか冒頭でリトアニア(のソ連統治下時代)を代表するバリス・ドヴァリョーナス(1904-1974)の時代錯誤的にロマンティックな美しい小品が聴けるのも一興である。
だがしかし、小生にはそれらにも増してプロコフィエフの「五つの旋律」の管弦楽伴奏版が何より注視の対象である。グラファン自身によるライナーから引く。
それから少し経って、友人のチェロ奏者ラファエル・ウォルフィッシュが私に「楽譜出版社ブージー&ホークスにはプロコフィエフ自身のオーケストレーションになる《五つの旋律》の第二曲の手稿があるぞ」と教えてくれた。ラファエルは誰かこれを [他の四曲も含め] 完成してくれないかな、と呟いた。[...] 私は直ちにロジオンに電話し、そのスコアを見てくれるよう頼んだ。プロコフィエフが第二曲に施したオーケストレーションの編成を尊重しつつ、ロジオン・シチェドリンは実に想像力豊かな驚くべき編曲で、それら独創的な管弦楽伴奏付きの歌曲集を仕上げたのだ。なるほど、そういう経緯だったのか。煩を厭わず曲目構成を列挙するとこうなる。
1. アンダンテ (シチェドリン編曲)
2. レント、マ・ノン・トロッポ (プロコフィエフ編曲)
3. アニマート、マ・ノン・アレグロ (シチェドリン編曲)
4. アンダンティーノ、ウン・ポーコ・スケルツァンド (シチェドリン編曲)
5. アンダンテ、ノン・トロッポ (シチェドリン編曲)論より証拠、シチェドリンはプロコフィエフが第二曲に施したオーケストレーションを巧妙に踏襲し、全く同一の楽器編成(2fl, 2cl, 2fg, 3hn, harp, strings/第四曲のみピッコロを附加)で他の四つの小品も破綻なく仕上げている。さすが昔《カルメン》編曲で世界を唸らせた練達の職人技というべきか。
実を云うと、このフィリップ・グラファンのディスクはプロコフィエフ=シチェドリン版「五つの旋律」の世界初録音ではないのである。
"Prokofiev & Shchedrin -- Wallfisch/Southbank Sinfonia"
プロコフィエフ:
五つの旋律 (チェロと管弦楽のための/作曲者&シチェドリン編)*
シチェドリン:
パラボラ・コンチェルタンテ (チェロ、弦楽、ティンパニのための)**
プロコフィエフ:
チェロ小協奏曲 (ウラジーミル・ブローク編)*
古典交響曲
チェロ/ラファエル・ウォルフィッシュ* **
ティンパニ/マイケル・アレン**
サイモン・オーヴァー指揮
サウスバンク・シンフォニア2007年7月1、2日、モンマス、ワイアストーン・リーズ
Nimbus NI 5816 (2007)
→アルバム・カヴァー先のグラファン盤でも名前が出たチェロ奏者ウォルフィッシュによる「五つの旋律」プロコフィエフ&シチェドリン編曲版。これこそ世界初録音に違いなかろう。ライナーノーツからウォルフィッシュ自身の言葉を引こう。
オーケストラ版が今に至るまで演奏されなかったのは、手稿があちこちのアーカイヴに埋もれていたためです。僕はしばしばヴァイオリン版 [ヴァイオリンとピアノのための「五つの旋律」作品35bis] をチェロで演奏してきましたが、プロコフィエフの手稿が発見されたのを機に、ロジオン・シチェドリンにお願いして、オリジナル版を手本に組曲全体を仕上げていただいた。嬉しいことに今、委嘱に対してサウスバンク・シンフォニアからの惜しみない支援が得られて、ここにチェロ、もしくはヴァイオリン、あるいは独唱と管弦楽のためのプロコフィエフの「新作」が誕生した次第です。──2007年5月24日、ロンドンのLSOセント・ルークスにおけるチェロと管弦楽のための「五つの旋律」世界初演に際して
そうであったか、プロコフィエフの未刊手稿の存在を知ったウォルフィッシュが(恐らくグラファンの仲介を経てだろう)シチェドリンに残り四曲の編曲を正式に依頼したという成り行きだったらしいのである。
完成した管弦楽伴奏による「五つの旋律」は、チェロ独奏でもヴァイオリン独奏でも、あるいは(プロコフィエフの最初のヴァージョンと同様)独唱ヴォカリーズでも演奏できるヴァージョンであり、私たちはそのうちチェロ版とヴァイオリン版をこうして耳にできたという次第。
ところで、これはグラファン盤でもウォルフィッシュ盤でもライナーノーツが触れていないが、そもそもプロコフィエフはいかなる目的で「五つの旋律」の管弦楽伴奏版を拵えたのか。現存する譜面は「第二曲」だけだが、他の四曲はどうなったか。それらの編曲は行われなかったのだろうか。
これらの疑問に答えてくれるのは、2004年にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで催された「プロコフィエフのアメリカ時代」をめぐる研究シンポジウムにおいて
ノエル・マン女史が行った「プロコフィエフ、歌姫、そして夜啼鶯 Prokofiev, the Diva and the Nightingale」という発表である。「プロコフィエフ・アーカイヴ」を統括する彼女は講演の公刊を望んだが、2010年の早世によって果たせず、今年やっと機関誌 "Three Oranges Journal" で陽の目を見た(第二十六号)。
上述の「五つの旋律」第二曲の管弦楽編曲版については、従来からブージー&ホークス社に未公刊の総譜が存在する事実が一部の関係者の間では噂されていた由。この手稿は恐らく同社に買収されたロシア音楽出版社から引き継がれたもので、ほぼ確実にプロコフィエフ本人に由来する。ただし、この編曲がなされた経緯など一切の事情は謎に包まれていた。
ところが1997年なって、ブラジルの作曲家・音楽学者マノエル・コレア・ド・ラーゴなる人物(本職は珈琲取引商)からロンドンの「プロコフィエフ・アーカイヴ」に照会があった。リオデジャネイロ大学図書館に未整理のまま箱詰めされた大量の資料から、プロコフィエフの署名入りの楽譜が発見されたという。
これらの資料群は1955年にリオで歿したブラジルの歌手
ヴェーラ・ヤナコプロス Vera Janacopoulos の遺品であり、彼女とプロコフィエフは1918年9月にニューヨークで出逢って意気投合し、1920年代のパリ時代まで家族ぐるみで交際を続けていた。そもそもプロコフィエフの最初の妻となるリーナ・コディナを紹介したのもヤナコプロス(とその夫アレクセイ・スタール)だという。彼の出世作であるオペラ《三つのオレンジへの恋》の台本の仏訳を手がけたのがヤナコプロス夫妻だという一事をもってしても、彼らの親密の深さが偲ばれよう。
遺品からはストラヴィンスキーが彼女のためにオーケストレーションした「パストラル」と「チリン=ボン」、ミヨーの「カトゥルスの四つの詩」、ヴィラ=ロボスの「菫」などの手稿譜が見出され、20世紀前半ヤナコプロスがミューズとして果たした役割の大きさを彷彿とさせる(
→ヤナコプロスとデ・ファリャ)。
プロコフィエフの手になる楽譜は二つあり、ひとつはリムスキー=コルサコフのロマンス「薔薇と夜啼鶯」のプロコフィエフによる管弦楽伴奏版、もうひとつが問題の自作「五つの旋律」の第二曲「レント、マ・ノン・トロッポ」の管弦楽伴奏版(総譜とパート譜)である。両者の管弦楽編成は殆ど同一であり(ホルン奏者数が前者は二、後者は三である点だけが違う)、プロコフィエフがヤナコプロスの依頼により、彼女がコンサートで歌う目的のため、これら二曲を編曲したことはほぼ間違いない。「五つの旋律」に含まれる他の四曲については、編曲はなされなかったと考えるのが妥当だろう。少なくとも現存する資料からはそうした痕跡は窺えない。
以上のような新知見から、今回チェロとヴァイオリンという二種類のヴァージョンで録音された「五つの旋律」管弦楽伴奏版の、真のオリジナルと呼ぶべきは女声ヴォカリーズによる歌唱版なのだと判明した。少なくともプロコフィエフが第二曲に管弦楽伴奏を施した際、彼の脳裏で鳴っていたのはヤナコプロスの「夜啼鶯のように」透明可憐な歌声だったに違いない。
いずれ近い将来プロコフィエフ=シチェドリン版の楽譜を用いた、そのような理想形による実演や録音を耳にする機会も巡ってくることだろう。