昨日は飯田橋の
東京日仏学院(アンスティチュ・フランセ東京という呼称はどうも馴染めない。舌を嚙みそうで心配になる)で
ジャック・ドミー(ジャック・ドゥミという呼称はどうも馴染めない。カトリーヌ・ドゥヌーヴとは表記しないくせに)の特集上映の初日だった。行こうかどうしようか思案していたところ、旧友の田旗浩一さんから懇切なお誘いがあって、久しぶりに足を運ぼうという気になった。
上映演目は順に《
パーキング》《
都会のひと部屋》《
想い出のマルセイユ》の三本。新作が思うように撮れず不遇だったと伝えられるドミーが1980年代、すなわちキャリアの最終段階で手がけた三つのミュージカル映画である。
小生は90年代これらを別々の機会に一度は目にしており、いずれも不朽の傑作《シェルブールの雨傘》《ロシュフォールの恋人たち》を撮ったドミーが辿る哀しい末路をみる思いがしたため、再見には腰が引け気味だったのだが、田旗さんの熱心さに絆されて「やっぱり観てみるか」と足を運んだ次第。ただし印象の最も芳しくない《パーキング》(コクトーの《オルフェ》の翻案ミュージカル)は今回もパス。
混雑が予想されるので早目に赴く。待ち合わせの十一時半まで間があるので学院前に昔からある小さな書店「欧明社」で時間を潰す。ただ立ち読みする積もりだったのだが、店の片隅に立てかけられた大冊に目が釘付けに。
"Prévert: Portrait d'une vie" (Ramsay, 2007) といい、一見すると展覧会カタログのような体裁でジャック・プレヴェールの生涯を通覧する。プレヴェールと聞いて誰もが思い抱く連想──《霧の波止場》《高原の情熱》《天井桟敷の人々》《やぶにらみの暴君(=王と鳥)》、ジョゼフ・コズマとのシャンソン「枯葉」、絵本『月のオペラ』、そして詩集の数々──のすべてが豊富な図版と共に言及されている。こういう本と出逢うともはや運の突き、知らなきゃよかった。あとで飲食用に充当する心積もりの七千円が瞬時に消え去った。この出費は痛い!
やがて定刻きっかりに現れた田旗さんと本館二階に上がり、列に並んで二回目と三回目の整理券を受け取る。記された番号はどちらも一桁台なので安心。上映までまだ三時間以上あるので神楽坂界隈まで戻って裏道をあちこち彷徨うが、値の張る料亭風の小洒落た店ばかりで、我ら貧書生にはどうにも敷居が高く、結局は以前も食べた「本家あべや」の低廉な親子丼にした。味はまあまあ。
そのあとは「ドトール」飯田橋神楽坂店で質素にブレンド珈琲を啜りつつ紫煙をくゆらす。田旗さんとお目にかかるのは三年ぶり位だが、平素からツイッターで彼の日常(旧作邦画を貪欲に銀幕で鑑賞)を瞥見しているためか、さして空白期間を意識しなかった。型どおりだが互いの近況報告と、そしてもちろん映画談議。
頃合を見計らって席を立ち、日仏学院へ取って返す。まずは三時半から上映の《
都会のひと部屋 Une chambre en ville》(1982)。整理券番号順の入場なので、田旗さん共々勇んで最前列に席を占めた。
日本未公開作ということに鑑み、チラシに記された粗筋を引く。
舞台は港町ナント。スト中の労働者たちが機動隊と相対している。労働者の中には、冶金工フランソワ・ギルボーの姿もある。彼は息子を失ったラングロワ男爵夫人のもとに間借りしていて、ヴィオレットという恋人がいる。男爵夫人の娘エディットはテレビ販売店を経営するエドモンのもとに嫁いでいる。嫉妬深い夫に嫌気がさしたエディットはある晩、裸体に毛皮のコート一枚という姿で家を飛び出し、フランソワに会いに行く。愛を誓い合うふたりだったが、その身の上に次々に悲惨な事件が起こる・・・。
以前これを観たのがアテネ・フランセかユーロスペースかもう記憶が定かでないが、そのときは確か無字幕(か英語字幕)版だったと思う。今回は日本語字幕付、そして最新のデジタル修復版というのが悦ばしい。なにしろ70~80年代における我が崇敬の対象たりし美神
ドミニク・サンダがジャック・ドミーのミュージカル映画に主演し、ドルレアック=ドヌーヴ姉妹さながら唄い演ずるのだ。これを夢の成就と呼ばずしてなんと形容しよう。
ところが出現したのは、夢は夢でも、おぞましい悪夢だったのである!
なにしろ主要な登場人物の過半が非業の死を遂げてしまう(エドモンは妻に背かれ絶望の余り剃刀で自死、フランソワは機動隊との衝突で負傷して死亡、それを悲観してエディットも後追い自殺)。それが駄目というつもりは毛頭ないが、それぞれの死に至る経緯や心模様がきちんと描かれておらず、悲劇的な結末が余りにもだしぬけに唐突で呆気ない。すべての成り行きが絵空事に思えてしまう。見終えてからの後味の悪さはちょっと名状しがたいほどだ。
陰々滅々たるミュージカルに俳優たちはよく付き合っている。男爵夫人役の
ダニエル・ダリューも、残忍な娘婿エドモンに扮した
ミシェル・ピコリも《ロシュフォール》でドミーの現場を熟知していたろうし、ドミニク・サンダも唄いながらの芝居に違和感が付き纏うものの、すべてを曝け出す(陰毛までも!)体当たりの演技には気迫がある。にもかかわらず、すべてが嘘にしか見えないのだから悲しくなる。
それもこれも責任は脚本を書いた監督その人に帰すべきだろう。といっても急拵えの不首尾な台本という訳でなく、1964年に第一稿を書いて以来ずっと温めていた企画だというから、台詞=歌詞もそれなりに練り上げてあり、監督は本心からこういう「陰惨で救いのない」ミュージカルが撮りたかったのだろう。致命的なのは折角1955年ナントで実際に起こった労働争議を題材にしながら、それが前景で展開する男女の愛憎劇と密接に絡むことなく、単なる物語の背景=書割の舞台装置に留まっているところだと思う。因みに、ドミーは当初これをオペラとして舞台上演することも夢想したといい、本作も《シェルブール》同様、すべての科白を悉く歌わせる実験的な「フィルム・オペラ」のスタイルで貫かれている。
台本を読んだミシェル・ルグランは「君らしくない物語だ」と作曲を断り、想定した当初のカトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデューのキャスティングも実現しなかった。頓挫しかけた企画が救われたのは、映画化を強く望んだドミニク・サンダのお蔭なのだという(以上の顛末は《ローラ》初公開時のパンフに依る)。
再見して思いがけず感心したのは音楽だ。上述のとおりミシェル・ルグランは作曲を引き受けず、
ミシェル・コロンビエ(メルヴィルの《リスボン特急》、ハックフォードの《ホワイトナイツ》など)が起用されたのだが、巧みにルグランのスタイルを模しつつも、労働者や警官隊の合唱などでオペラティックな感興を醸し、破綻のない仕上がりである。これといって印象に残る楽曲がないのが玉に瑕なのだが。
終映後は一旦建物から出て喫煙所で一服。日仏学院は三十年ぶり位だという田旗さんは学園内の探索へと赴いた。煙草をふかしながらレストランの併設された瀟洒な中庭を眺めていると、ここがニッポンであるのを暫し忘れる思いだ。
二本目は六時から《
想い出のマルセイユ Trois places pour le 26》(1988)。云う迄もなくジャック・ドミー最後の作品である。小生は封切時には見逃し、1992年になって池袋のテアトルダイヤという小さな小屋で観た。もう記憶はかなり曖昧で、
イーヴ・モンタンが自分自身を演じる半自伝的なミュージカル・・・という程度の漠たる印象しか蘇らず、大感動したという憶えもない。
これについても念のため、チラシの紹介文を引いておこうか。
故郷マルセイユでミュージカル公演のために帰るイヴ・モンタン。彼はその公演の中で、自身の人生を歌と踊りで振り返ってゆく。かつての恋人と再会し、モンタンは自分に娘がいたことを知る。遺作となったこの作品には、ドゥミ映画になくてはならないセーラー服の水兵、未婚の母、驚くばかりの原色の世界が繰り広げられている。ドゥミとモンタンが映画を作るという企画を初めて話し合ったのは68年、ハリウッドにおいてだった。夕暮れ時にドライヴをしながら、ドゥミとヴァルダ夫妻、モンタンとシモーヌ・シニョレ夫妻は、将来一緒にミュージカル映画を作る夢を語り合い、それから20年後の本作でようやく彼らの夢が実現する。
こちらも若い整理番号(五番と六番)だったので一も二もなく最前列の中央に陣取った。既に切符は完売と知り、早起きの功徳をしみじみ噛みしめる。
開巻一番「東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品」のタイトルが大写しになり、嗚呼これは35ミリ・フィルム上映なのだと知り胸が高鳴る。おまけに本作はシネスコ・サイズ。小さいながら銀幕で観られるのは僥倖というほかない。
ドミー作品に不可欠のアイリス・イン(暗い画面の中央に小さな丸が現れ、拡大すると最初の場面になる)が拡がると、そこはマルセイユ駅(マルセイユ=サン=シャルル駅)。急行列車が到着し、故郷に錦を飾る風情で満面の笑みを浮かべたモンタンがプラットフォームに降り立つ場面から映画は始まる。大歓迎と花束贈呈、そして取材陣のフラッシュ。マスコミ連中を引き連れたモンタンはそのまま駅前の大階段へ移動して即席インタヴュー。いきなり冒頭からジャック・ドミーならでは、歌と踊りが満載の野外シーンに胸が熱くなる。早くも涙が零れそうだ。
なによりモンタンの声と容姿が素敵だ。かなりお年を召して、階段シーンでの足元が些か覚束無いのだが、すべての動作、立ち居振る舞いの隅々まで粋でシックで洗練の極み。フレッド・アステアに近い境地である。その彼が縦横に唄い踊り、周囲では取材記者やカメラマンたちが賑やかなモブ・シーンを繰り広げる。ドミーのミュージカルはこうぢゃなくちゃ、と心が躍り、深く頷かせる導入部なのだ。これぞ《ロシュフォール》の再来ではないか、と嬉しくなる。ちょっと振付の細部の詰めが甘い気もするが、湧き立つような躍動感は紛れもなく同質のものだ。
そして今更のように痛感する。この心躍るドミーの映像に寄り添うことのできる唯一の作曲家が
ミシェル・ルグランだという当然の事実を、である。
弾けるような旋律線、夢と憧れと情感、そして何よりも、映画の時空を活気づけ、物語を真実たらしめ、有無を云わせず先へと展開させる驚異の推進力! 実は今、自宅でサントラ音源を聴いて余韻に浸りつつ書いているのだが、本当のところドミー作品をドミー作品たらしめている最大の鍵は、ほかならぬルグランの音楽にある──そう断言したくなるほどに両者は不離不即の関係、一心同体なのだ。
物語は実際のイーヴ・モンタンの一代記に(虚実織り交ぜつつ、なのだろうが)即しつつ、戦時下での貧しい境遇の出自から、国際的なスーパースターへの歩みをそのまま舞台化した架空の映画内ミュージカルの上演にまつわる「絵に描いたように」典型的なバックステージものとして展開する。
そこには過去にハリウッドがさんざん使い古した幾多のクリシェ──舞台稽古の喧騒と軋轢、過去のロマンスの再燃、スター女優の急病、その代役として無名のシンデレラ・ガールの抜擢──が散りばめられ、どこかで目にしたような既視感が満載なのだが、すべてはドミー自身の往時の名作ミュージカル映画への愛着と憧憬の念で彩られ、Tout va bien(万事これで良し)という満足感で一杯になる。
描き出される物語はご都合主義そのものだ。
二十二年ぶりに訪れたマルセイユでモンタンは昔の恋人に再会を果たしたばかりか、たまたま共演相手の代役として抜擢した少女がその実娘であり、しかも彼女はモンタン自身の落とし子だったのだ、という展開はいくらなんでも「出来過ぎ」であり、「そんな偶然ってある筈ないだろう」と突っ込みたくなる。
しかもその彼女はモンタンに憧れる余り、一夜を共にしてしまう(らしい)のだ。「それって近親相姦ぢゃないの?」という疑惑をよそに、すべてを了解しあった母娘とモンタンは三人で仲睦まじく手を携え旅興行へと出発する・・・というエンディングには「こんな終わり方ってアリかよ?!」という顰蹙の声も聞こえてきそうだ。
実際には起こりそうもない偶然また偶然の連続は、しかしドミー作品の真骨頂だ。それこそが彼が求め続けた不変の題材であり、偶然の出逢いとすれ違いが織りなす「夢見られた現実」の妙味に、ドミーの関心のすべてが注がれる。
個々の作品がそのように組み立てられているばかりか、《
ローラ》に登場する少女セシルが成長して《
シェルブールの雨傘》のヒロインになり、渡米したローラ自身の後日談が《
モデル・ショップ》で物語られる──といった具合に、ドミー作品の多くはバルザックの小説群さながら互いに登場人物を共有し、出来事の連鎖=因果応報によって結びつき、ひとつの大きな全体を形づくってもいる。
そう考えてみると、《想い出のマルセイユ》ではイーヴ・モンタンの実人生を辿るミュージカルに仮託して、愛と偶然の戯れに翻弄される人間模様──ドミー監督が一貫して追い求めた主題──が自在に織り合わされ、一本の映画に集約されていることが理解される。生涯の最後にこの作品が撮れて本当によかった。
終映後、満ち足りた気分で日仏学院の坂を下り、理科大の前を行き過ぎながら幸福な余韻に浸る。暫くその心持のままでいたかったので、田旗さんを誘って神楽坂を少し上ったあたりの焼鳥屋で軽く乾杯。言葉にならない感激を分かち合ったのち近々の再会を約して別れた。
それにしても、と帰りの地下鉄の車中で反芻した。起こりそうもない偶然の連鎖といえば、《都会のひと部屋》も《想い出のマルセイユ》も同じではないか。現実とはかけ離れた夢物語という点ではどちらも選ぶところはなかろう。それなのに、前者を「信じられない絵空事」と難詰するのは、あるいはお門違いではなかろうか、と。あれもまた、監督が一度は語っておきたかった人生の残酷なお伽噺だったのかもしれない──そんな思いに駆られもした。
とはいうものの、ドミーが紡ぎ出す夢物語はやはり甘美であれかしと希うものだ。