昨日は六本木で「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」を観た。再見どころか再々々々々々見である。会場内の作品配置まですっかり頭に入ってしまい、さすがにもう新発見は少しもない。関西からの客人を案内すべく赴いたのだが、もうじき(9月1日)に展覧会が終了してしまうので、これで見納めという厳粛な心持ちで展示作品をしっかり網膜に焼き付けてきた。
そんな訳で今宵はバレエ・リュス演目のうちで滅多に話題にならない演目をせめて耳からだけでも愉しもうという企ての第四回目。たぶん最終回。
ニコライ・ナボコフ作曲《
頌歌(オード) Ode》(1925~28)を聴いてみることにする。例に拠って展覧会カタログの当該頁からバレエの粗筋を引こう。
「自然」は、はじめは台座に載った彫像の姿であったが、生命が吹き込まれ学生の質問に答えて台座から下りてくる。学生は「自然」に対し、星座や大河、惑星、人類と広く及ぼす彼女の力をみせてほしいと頼む。しかし、これらの力が示されても学生は満足せず、自然の祝祭ともいえる北極のオーロラを一目見せてほしいと求める。そうして現れたオーロラの美しさと脅威に魅了され、学生はオーロラのなかに入ろうと試みるが、結局それを破壊してしまう。バレエは「自然」が彫像の姿に戻ったところで終わる。
なんともはや奇妙な粗筋である。人知の及ばぬ自然の驚異に関する哲学的瞑想の一場とでもいったらいいか。古めかしい寓意劇である。
このプロットの文学的典拠はミハイル・ロモノーソフ Михаил Ломоносов の数多い頌歌の一篇「
大極光に際し神の偉大さに思いを馳せる夕べの瞑想」(1743)だというが、露西亜文学史に疎い者にはとんと縁遠い存在だ。そもそもバレエが初演された1928年のパリで、この18世紀ロシアが生んだ「万能の天才」=文人科学者ロモノーソフの名を知る者が果たしてどれほどいただろうか。
このバレエの入り組んだ成り立ちについては、やはりリチャード・バックルが詳しく教えてくれる。いつのように名著『ディアギレフ──ロシア・バレエとその時代』下巻(鈴木晶訳、リブロポート)から引かせてもらうと、
《頌詩》の作者は以下の人びとである。まずニコライ・ナボコフ。彼は一九二七年の春、ロシアの女帝エリザヴェータ・ペトローヴナを称えた宮廷詩人ロモノーソフの頌詩──「極光のオーロラを見て神の偉大さを想う夕べの瞑想」(女帝エリザヴェータがオーロラと同一視されている)──にもとづいた未完のカンタータの一部を、ディアギレフに弾いて聴かせた。次にディアギレフ。彼はこの作品を、宮廷の舞踏会や女帝の戴冠祝典を描いた版画をもとにして、十八世紀風のスペクタクルとして上演しようと、情熱を燃やした。ボリス・コフノが、その線に沿って台本を書いた。パーヴェル・チェリーシチェフは、そのアイデアにもとづいた舞台装置を制作することに同意したが、途中で気が変わり、なにかまったく新しいことを劇場でやりたいという誘惑に負けた。彼はピエール・シャルボニエに、映写装置とネオン照明を考案してくれと頼んだ。[レオニード・] マシーンは以上のあらゆるアイデアを振付によって融合しなければならなかった。
要するに作曲したナボコフは無論のこと、ディアギレフ(とその意を受けたコフノ)はロモノーソフの原詩に相応しくロココ趣味の回顧的バレエを想定していたのに対し、新奇な舞台を目論むチェリーシチェフ(=チェリチェフ)はそれに真っ向から挑むような超現代的デザインを目指したのだ。
チェリチェフはコフノとは別個に自分で独自のシナリオを拵えて、ディアギレフの前で朗読したという。バックルの本からその件りを引くと、
明るく光る王冠をかぶり、燐光を放つ白い衣をまとった、ドーリア式円柱のような女人像──自然(イシス)──が台座の上に立っている。その台座はゆっくりと動く雲で、後方から映写されている・・・。学者(イシスの弟子あるいは秘儀参入者)が大きな本を開いて持ち、イシスを待ち受けている。彼はルイ十五世時代のフランスの司祭みたいな恰好をし、足の線をきわ立たせる半透明のタイツをはいている。・・・青い紗の幕が開くと、球に見えるように影をつけた、白い紗でできた透きとおる大きな円があらわれる。地球である。その向こう側には円形の大きな台が見え、その上に、顔のない、淡いブルーのレオタードを着たダンサーたちがいる。彼らの衣装に描かれた幾何学図形や星座が光を放つ・・・。
チェリチェフは更に滔々と構想の解説を続ける。
「遠くの星座をあらわすネオン・ライトがくるくる回り、螺旋が彗星を表現し・・・」とチェリーシチェフは説明する。「扇動的だ! 毒々しい! きみは気が狂っているんじゃないか? こんなものは禁じる!」とディアギレフは叫ぶ。チェリーシチェフは続ける、「待って下さい。背景幕に映画を映すんです。月が上っては沈み、観客の眼の前で自然が成長し、花が咲き、実を結ぶのです。さまざまな幾何学的図形が自然現象を表現し・・・。映写機が五台必要でしょう。それを劇場の天井の近くに設置して・・・」。ディアギレフは言う、「きみは気ちがいだ。きみのアイデアはおそろしい!」。
ディアギレフはチェリチェフの破天荒な発想が理解できず、激怒して猛反対したが、結局は根負けして、彼の好きにやらせることにしたらしい。このバレエのためにチェリチェフが描いた構想スケッチの一枚をお目にかけよう(
→これ)。なんとも宇宙的かつ超現実的なヴィジョンである。
撮影された数枚の上演写真をみると、彼の構想はほぼそのまま舞台に生かされたことが分かる(
→これ、
→これ、
→これ、
→これ)。《頌歌》は誰よりもチェリチェフの才能が際立って突出したバレエだったことが諒解されよう。
今回の展覧会に展示された衣裳は二点である(
→星の衣裳、
→星座の衣裳)。以上すべての画像と、その傍らに掲げられたプログラム冊子の表紙絵(
→これ)を総合すると、このバレエの途轍もない先進性が朧げながら想像できよう。
事実、バレエ・リュス二十年の歴史のなかで、想像を絶する舞台美術の革新性という点で、《頌歌》はひょっとして三本の指に入るのではなかろうか(他の二本は《夜啼鶯の歌》と《牝猫》だろうと思う)。
さあ、そろそろそのバレエ《頌歌》にニコライ・ナボコフが寄せた音楽を聴いてみることにしよう。以下のCDは世界初録音にして今なお唯一の音源である。
"Nabokov: Ode/ Union Pacific"
ニコライ・ナボコフ:
頌歌: 神の偉大さについての瞑想*
ユニオン・パシフィック
ソプラノ/マリーナ・シャグチ*
バス/アレクサンドル・キセリョフ*
ワレリー・ポリャンスキー指揮
ロシア国立交響カペレ*
ハーグ・レジデンティ管弦楽団2001年5月21~25日、デン・ハーク、アントン・フィリップスザール
Chandos CHAN 9768 (2002)
→アルバム・カヴァーニコライ・ナボコフ Николай Набоков/ Nicolas Nabokov (1903~1978)は今では殆ど語られることのない作曲家である。後年アメリカに居を移した彼は、戦後の冷戦時代CIAの指導下で反共文化団体「文化自由会議 Congress for Cultural Freedom」の中心人物として活躍したため、リベラル文化人の顰蹙を買い、大いにその声価を落とした。
現今では作家ヴラジーミル・ナボコフの従兄弟にして、興味深い自伝的回想の作者として辛うじて記憶されるのみで、作曲家としての業績は忘れられてしまった。
1928年6月6日、パリのサラ・ベルナール劇場でのバレエ・リュス公演でロジェ・デゾルミエール指揮により初演された《頌歌》はまずまずの成功を収めた。引き続くロンドン公演も好評だったから、二十五歳の新進作曲家の名はこれを機に広く音楽界に知られるようになった。文字どおりの出世作なのである。
ただし翌年のディアギレフの急死、バレエ・リュスの解散に伴う混乱期をこのバレエは生き延びることができず、やがて名のみ知られる存在となって今日に至る。
こうしてCD録音され、四分の三世紀ぶりに蘇演されてみると、意外にもナボコフの音楽は舞台の新奇な印象とは裏腹に些か穏健で古めかしい。
バレエ音楽というより独唱者と合唱を伴う三十分強のオラトリオといった体裁だが、管弦楽法は当時の新古典主義の特色である均整と透明感を示す。ただし、ほぼ同時期のストラヴィンスキーの類似作《オイディプス》《詩篇交響曲》のような鋭敏さを欠き、むしろロシア正教の典礼音楽のように厳粛な雰囲気を漂わす。決して退屈な音楽ではないものの、歴史の試練に耐える程の魅力は感じられない。忘れられてしまったのも宜なるかな。
フィルアップとして併録されたもう一曲の《
ユニオン・パシフィック》(1934)は、うって変わってアメリカを舞台とするバレエ音楽。これまた世界初録音だ。
ディアギレフのバレエ・リュスの後継団体であるバレエ・リュス・ド・モンテカルロのアメリカ公演のために急拵えで準備され、1934年4月6日フィラデルフィアのフォレスト劇場で初演された由(米公演を控えたバレエ・シュエドワがアメリカ人を起用して《ウィズイン・ザ・クォータ》を仕立てたのと好一対の企てである)。大陸横断鉄道の敷設工事を題材にしたバレエは、耳に馴染んだアメリカ民謡やフォスターの楽曲を随所に織り込み、六年前の《頌歌》とは何から何まで対照的な世界を描き出す。新世界でのヒットを当て込んだ狙いが透けて見える。
何を隠そう、こちらのバレエも《頌歌》同様レオニード・マシーンの振付であり、初演の舞台ではマシーン自身のほか、タマーラ・トゥマノワ、エヴゲニヤ・デラロワ、ソノ・オーサトらが踊ったという。
《ユニオン・パシフィック》は1938年のバレエ・リュス・ド・モンテカルロ(当時の団体名はド・バジル大佐のコヴェントガーデン・ロシア・バレエ団)オーストラリア巡業でも上演されている(
→写真1、
→2、
→3)。