今年は面白味を欠くと書いたばかりだが、いったん聴き始めると癖になって止められないのが英都BBC Promsの妙味である。
昨日に引き続き、今朝もまたオン・デマンドで試聴してみる。8月11日、プロムズの室内楽シリーズであるPCM(=Proms Chamber Music)の一環として催されたオランダの閨秀ヴァイオリニスト、
ジャニーヌ・ヤンセンの昼公演。ただし会場はさすがに巨大なロイヤル・アルバート・ホールではなく、地下鉄のスローン・スクエア駅から至近の中型楽堂
カドガン・ホール。古い石造りの教会堂を改造した、シックで響きのよい空間である。
PCM 4
Proms Chamber Music & Saturday Matinées
11 August 2014
1.00pm – c2.00pm
Cadogan Hall
Prokofiev:
Five Melodies* (13 mins)
Sonata in C major for two violins** (15 mins)
Schubert:
Fantasie in C major, D934*** (25 mins)
[encore]
Shostakovich:
Prelude and Waltz from Five Duos for two violins****
Janine Jansen, violin
Sakari Oramo, violin** ****
Itamar Golan piano* *** **** →オン・デマンド試聴ジャニーヌ・ヤンセンの弾くプロコフィエフは、2012年の訪英時に第二協奏曲を聴いたことがある(共演/ヤニク・ネゼ=セガン指揮ロンドン・フィル)。
そのときは「綺麗に弾くけど線が細く、音の小さな人だなあ」程度の乏しい感想(当夜のレヴュー
→大団円もプロコフィエフ)しか湧かなかったが、暫くして同曲をヴラジーミル・ユロフスキーの指揮で録音したCDが出て、「これは相当に高水準の演奏ではないか」と息を呑んだ。周到な伴奏指揮に援けられて、プロコフィエフのクールな抒情味を過不足なく表現した秀演だったからだ。
CDにはフィルアップとしてプロコフィエフの傑作「第一ソナタ」と、珍しい「二挺のヴァイオリンのためのソナタ」とが収められていて、とりわけ後者が感興の湧く愉しい聴きものだった(第一ヴァイオリン=ボリス・ブロフツィン)。そんな経緯から今回のカドガンでのマチネも興味津々、大いなる期待と共に聴き始めた。
プロコフィエフに室内楽作品は思いのほか尠く、ヴァイオリンとピアノのための楽曲としては高名な二曲のソナタ(うち第二番はフルート・ソナタからの編曲)を除くと、小品集「
五つの旋律」(1925)があるのみ。その「五つの旋律」にしても、ソプラノのヴォカリーズ(無歌詞)独唱とピアノのための歌曲集(1920)からの編曲物である。そのため、1935年末から36年初めにかけてプロコフィエフがヴァイオリニストの
ロベール・ソエタンスとスペイン、北アフリカ、中欧各地へ演奏旅行に出る際も、共演レパートリーに事欠いて、ヘンデルやベートーヴェンやドビュッシーのヴァイオリン・ソナタのピアノ・パートを大慌てで特訓したほどである。
「五つの旋律」は青年期のプロコフィエフ特有の、果敢無くも玄妙なリリシズムと、仄かに夢想的な雰囲気を醸す佳作である。初期のピアノ小品集「束の間の幻影」をもう少し甘くメロディアスにした、といったらいいだろうか。
ジャニーヌ・ヤンセンにとって同曲集は未録音のレパートリー。小生も初めて聴く。相変わらず線の細い演奏だが、弱音部のあえかな響き、ヴィブラートの清潔さは彼女ならではの美質だろう。ただし今ひとつ主張が弱く、曲毎の性格の描き分けも幻想の掘り下げも不充分と見受けられたが、イタマール・ゴランの雄弁な伴奏に支えられ、まずは無難な仕上がり。それにしても魅惑的な音楽だ。
続く「二挺のヴァイオリンのための(無伴奏)ソナタ」は生で耳にする機会の稀な音楽だ。小生も2008年12月、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団の「プロコフィエフ・ツィクルス」東京公演で、第二ヴァイオリン協奏曲のあとワジム・レーピンがコンサートマスター氏と一緒にその第二楽章をアンコールとして弾いたのと、2012年1月ロンドンでの「プロコフィエフ・フェスティヴァル」で、王立音楽院の優秀な学生デュオが全曲演奏したのと、実演ではこの二回しか遭遇していない。
一聴なんだか取っつきにくい曲だが、馴れるといかにも中期のプロコフィエフらしい晦渋と明晰が相半ばする面白い音楽である。
この特異な編成の二重ソナタはパリの「トリトン」の委嘱で作曲された。この団体は現代室内楽振興を目的に作曲家ピエール=オクターヴ・フェルーの肝煎りで結成され、イベール、ミヨー、トマジ、オネゲルのほか、プロコフィエフやミハロヴィチらも幹事として名を連ねた。
このソナタはまずモスクワで初演されたのち、1932年12月16日パリで催された「トリトン」第一回演奏会でお披露目された。第一奏者はストラヴィンスキーからの信頼厚い
サミュエル・ドゥシュキン、第二奏者はルーセルの推輓によるロベール・ソエタンス。このフランス初演は好評を博し、同席したストラヴィンスキーはソナタを「宝石(un bijou)」と褒め讃えた由(プロコフィエフ日記)。
その後、ソエタンスはプロコフィエフから楽譜を借り受け、同ソナタのロンドン初演を果たすなど、欧州各地でその演奏・普及に努めることで作曲家から全幅の信頼を勝ち得た。そして数年に及ぶ親密な交友ののち、プロコフィエフからの「君のため何か書こう」との提案により、ソエタンスの抒情的な美音と雅やかなヴィブラートを念頭においた不朽の名作、第二ヴァイオリン協奏曲(1935)が世に出ることになる(
→ソエタンスによるロンドン初演の実況録音)。
「二挺のヴァイオリンのためのソナタ」は難しい曲だ。二人の奏者は時にぶつかりあい、時に歩み寄りながら、決してひとつに溶け合わない。それでいて音楽としての整合性を保つのだから、演奏家にとって至難の楽曲ではないか。
この曲に限って、ヴァイオリニストの音色や流儀は互いに同質である必要はなく、むしろ異なった個性同士のほうが好都合かもしれない。察するにパリ初演時のドゥシュキンとソエタンスの演奏も、恐らくは乾いた新古典主義と柔軟なネオ・ロマンティシズムの拮抗もしくは対決という趣を醸していた筈なのだ。
今回ジャニーヌ・ジャンセンが共演相手として選んだのは、なんと指揮者
サカリ・オラモというから驚きだ。ジャンセンは第二パートを受け持ち、かつてヴァイオリン奏者だったという大先輩オラモに花を持たせている(
→舞台写真、
→同)。
さてその成果はといえば目覚ましいものだ。出自も経歴も、そして奏法の点でも大きく異なるだろう二人が妥協することなく、対等で互いに一歩も譲らず、時に探り合い、時に挑みかかるように協働する──これこそプロコフィエフが待ち望んだ演奏ではなかろうか。今でも年に四、五度はヴァイオリニストとして舞台に立つというオラモの腕前はなかなかのものとみた。おぬし、やるな、と。
先述したように、ジャンセンはこのソナタをかつてCD録音しており、その際も自分は敢えて第二パートを担当していた。云うならば彼女はパリ初演時のソエタンスの役回りを無意識になぞったことになろう(ソエタンスは同曲のロンドン初演も、その後の演奏でも、決まって第二奏者を務めている)。
興味深いことに、ソエタンスがパリの「トリトン」演奏会で同曲を1937年4月12日に再演した折、請われて第一パートを受け持ったのはなんと
シャルル・ミュンシュ(元ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者)だった由。ならば今回のプロムズでの共演は、期せずして往時の顰みに倣ったことになる。奇縁とはこれだ。