前回の《アルミードの館》に続き、同じく
ニコライ・チェレプニンが作曲を担当した次作バレエ《
ナルシス Narcisse》を聴いてみたい。1911年春のバレエ・リュス公演の新作として準備され、同年4月26日モンテカルロ歌劇場で世界初演された。誰もが知るギリシア神話のナルキッソス伝説をそのままなぞったバレエなので説明は要すまいが、念のため「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」の解説から粗筋を引かせていただこう。
[...] このバレエの舞台は、コリント湾の北東の地域であるボイオティア [...] にある、果樹園の女神ポモナの神殿である。神殿は森の沼地にあり、そこでは泉から湧き出る水が鏡のような小さな池へと流れ込んでいる。[...] 美しく、わがままな若者ナルシスは、山の美しい妖精エコーの誘惑を拒絶し嘲笑した。怒ったエコーは女神ポモナに、ナルシスが決して報われない恋に落ちるように、と求めた。ポモナの魔法によりナルシスは、池に映った自分自身を見てたちまち恋に落ちる。彼は土に埋もれてしまうほど、いつまでも自分自身を見続けた。彼の居た場所には一輪の水仙の花が咲いたのであった。
必ずしもバレエ向きとは思えない題材を強く推奨したのは、舞台美術を手がけたレオン・バクストである。彼は1907年のギリシア訪問時の強い印象に基づきながら、古代ギリシアを舞台とする三連作、すなわち《ナルシス》《ダフニスとクロエ》《牧神の午後》を構想するとともに、ディアギレフの諒承のもと、振付家ミハイル・フォーキンとともに準備に取りかかった。
《クレオパトラ》(1909)で古代エジプト、《シェエラザード》(1910)では千夜一夜物語のアラビアに題材を求めて、聴衆の旺盛放埓な異国趣味を満足させたバレエ・リュスは、いよいよ欧州文明の源泉たる古典古代のイリュージョンを舞台上に現出させようと目論んだのである。
残念ながらバレエ《ナルシス》は時の試練に耐えられず、数年後にはバレエ・リュスのレパートリーから外れてしまい、後続の《ダフニスとクロエ》が演奏会場で生き永らえたのとは対照的に、チェレプニンが書いた音楽もまた完全に忘却の淵に沈んでしまった。その楽曲を耳にする機会が訪れたのは、20世紀も終わろうとする頃──埋もれたロシア音楽の蘇演に熱心な指揮者ロジェストヴェンスキーがこのバレエ音楽の世界初録音を世に問うたのである。
"Tcherepnin: Narcisse et Echo"
ニコライ・チェレプニン:
ナルキッソスとエコー
■ 多神教的な夜明け
■ 森の獣が目覚め・・・笛を吹く
■ ボイオティア人たちとその恋人たちの登場
■ バッカスの信女たちの踊り
■ 遠くの声
■ ナルキッソスの踊り
■ 置き去りにされるエコー
■ 憔悴したナルキッソスの登場
■ エコーの到着
■ 花に変身するナルキッソス
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
ハーグ室内合唱団1998年3月17~20日、デン・ハーク、アントン・フィリップス会堂
Chandos CHAN 9670 (1998)
→アルバム・カヴァー一座の花形ニジンスキーがタイトルロールを務めるバレエとしては、一週間前に初演された《薔薇の精》に続く第二作、しかもこちらは書き下ろしの音楽を伴う純然たる新作であるばかりか、上演時間が一時間近い大作なのである(本ディスクでは五十三分強を要している)。
周知のとおり、ディアギレフのバレエ・リュスは飽きやすい観客を慮り、長時間かかる「通し狂言」を廃して、十五分から二十分ほどの小品を数本連ねる上演形式を打ち出していたのだが、なかには例外的に大作も含まれていた。
1909年の《アルミードの館》や1910年の《火の鳥》がそうだったし、本作やその姉妹篇として構想された《ダフニスとクロエ》などは上演に一時間近くを要し、一夜の催しの半分をこの一曲で占めていた。言葉を伴わないバレエでも演劇や歌劇に勝るとも劣らぬ複雑な筋立てや入り組んだ人間関係を盛り込み、登場人物の感情の機微を生き生きと描き出せるはずだ──そのような野望をバレエ・リュスの専属振付家フォーキンは抱いており、同団の専属指揮者だったチェレプニンは彼の意向に沿う形で《ナルシス》の作曲を進めたに違いない。タイトルロールを踊るのは、一座の花形ニジンスキーその人である。
先に聴いたチェレプニンの前作《アルミードの館》(1907ペテルブルグ初演)も全曲上演が一時間を上回る大作だったが、僅か四年しか経過していないにも係わらず、《ナルシス》は根本的に異なった範疇に属する音楽である。
前作では顕著だったチャイコフスキーやグラズノーフからの影響はぐっと後景に退き、代わってドビュッシーを明らかに想起させる精妙で夢幻的な雰囲気が随所に漂う。これはストラヴィンスキーの《火の鳥》と同様、当時のパリ楽壇を意識して作曲された新時代のバレエなのである。
そうした和声的・音響的な新しさもさることながら、《アルミードの館》が忠実に従っていた「番号方式」、すなわち番号附きの独立した小曲(アダジオ、パ・ド・ドゥー、ヴァリアシオンなど)が連なって全曲を構成する旧来の書法がきっぱり廃棄され、冒頭から幕切れまで音楽が途切れることなく滔々と流れる新方式が採用されたという点にこそ、バレエ音楽《ナルシス》の新しさが際立つ。
オペラの世界ではワーグナーの楽劇が疾うに実現していた楽曲構成法に追随した方針転換とみることもできようが、より直接的にはフローラン・シュミットの黙劇《サロメの悲劇》(1907)あたりを淵源とする新機軸のバレエ構成であり、その背後にはリヒャルト・シュトラウスの交響詩──その「変化に富みつつ全体を統御する管弦楽ならではの演出法」からの影響が決定的だったと考えられよう。
もうひとつ《ナルシス》で見逃せないのは、同時進行で準備されたラヴェル作曲の《ダフニスとクロエ》との著しい類似である。番号方式を廃し、全体をひと繋がりのパノラミックな楽曲として統一する手法も、上演にほぼ一時間を要する、バレエ・リュスとしては例外的な大作であるところも、そして何よりもまず、随所で無歌詞のヴォカリーズ唱法による合唱が加わる点で、両者は共通している。
無論これらは偶然の一致ではなく、二人の作曲家が振付師フォーキンと綿密に打ち合わせ、その指示に厳密に従った結果にほかなるまい。ディアギレフは一貫して《ダフニスとクロエ》を過小評価し、「費用が掛かりすぎるから」との理由で合唱を省いて上演してラヴェルと悶着を起こしてもいる(1914年ロンドン公演)のだが、《ナルシス》にもまた合唱が用いられている点からみて、こうした趣向はラヴェルの独断専行ではなくフォーキンの意図に沿うものだったことが明らかであり、ディアギレフもある時点までは同意(あるいは少なくも黙認)していたに違いない。恐らくディアギレフが振付家としてもニジンスキーを重用し、フォーキンと疎遠になる過程で、フォーキンの大作指向そのものが否定されたのだろう。
その後《ナルシス》は1916年にニューヨークで数回上演(ニジンスキーが主演)され酷評されたのを最後に、バレエ・リュスのレパートリーから外れてしまい、チェレプニンの音楽もベリャエフの出版社から楽譜が公刊されたにも係わらず、その存在は本ディスクが出るまでほぼ完全に忘れ去られていた。
百年の時を隔てた我々がこの不遇なバレエを遙かに思い描くよすがとしては、バクストが手がけた壮麗な舞台装置デザイン(
→これ)、色とりどりの衣裳デザイン(
→これ、
→これ、
→これ、
→これ)、そして今回の展覧会で間近に展観されている舞台衣裳そのもの(
→これ)ばかりなのである。だからこそ、このアルバムは値千金である。失われたバレエを行き届いた解釈で蘇演したロジェストヴェンスキーには満腔の感謝を捧げねばなるまい。実際に音になってこその音楽なのだ。