つい煙草を切らしてしまったので自転車を駆って駅前のコンビニまで赴く。ここのMINISTOPには感心にもゴールデンバットが置いてあるのだ。途中で最寄りのスーパーマーケットに立ち寄り、濾過清浄水を積み込む。駐輪しておいた自転車のサドルが焼けるように熱くなっている。八リットルの水はずしりと重たく、ペダルを漕ぐのにも難儀してしまう。戻り着いたら汗が全身からどっと吹きだした。
今日の昼食は昨晩のカレーの残り。暑さのせいで食欲は些か減退気味。食後にはよく冷やしておいた桃を食する。今年最初の桃。カレンダーを捲るようにデザートの果物も夏向きに切り替えたのだ。産地がどこだったか失念したが、瑞々しく蜜のように甘くて、もう十二分に美味しいではないか。水蜜桃の日々の始まりだ。
昨晩に引き続き、ドビュッシーのフルート音楽、ただし奏者も曲の取り合わせも趣の異なるアルバムを手に入れたので、暑さ凌ぎにこれを愉しもう。
"Impressions Françaises -- Juliette Hurel"
プーランク:
フルート・ソナタ*
フォーレ:
小品*
シシリエンヌ*
コンクール用の小品*
幻想曲*
子守唄*
ドビュッシー:
シュリンクス (詩/ガブリエル・ムーレ)**
フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ***
シュリンクス
牧神の午後への前奏曲 (ギュスターヴ・サマズイユ編)*
プーランク:
笛吹きが廃墟を慰める Un joueur de flûte berce ler ruines (1942)
フルート/ジュリエット・ユレル
ピアノ/エレーヌ・クーヴェール*
ヴィオラ/アルノー・トレット***
ハープ/クリスティーヌ・イカール**
語り/フロランス・ダレル**2010年10月18~22日、パリ、ボン・スクール教会
Zig-Zag ZZT 110401 (2010)
→アルバム・カヴァー昨晩たまたま聴いたフィリップ・ベルノール盤(1998)を下敷きに、本アルバムが着想されたのは間違いあるまい。そう云い切る証拠はどこにもないが、ドビュッシーのフルートのための楽曲をひとまとめにし、「シュリンクス」の朗読付/独奏のみ両ヴァージョンをふたつながら収録する着想はまるで瓜二つなのだ。ただし、ここでは「ビリティスの歌」は除外され、代わりにドビュッシーの先輩・後輩にあたる二人のフルート曲で埋め合わせたところに新味がある。
ジュリエット・ユレルという閨秀奏者は初めて聴く。パリ音楽院を首席で卒業し、各地のコンクールで頭角を現したのち、1998年からはロッテルダム・フィルの首席奏者の地位にある才媛だそうだ。なるほど安定した堅実な技巧と円満でまろやかな音楽性の持ち主である。ただし、プーランクのソナタやドビュッシーの三重ソナタのような傑作ともなると、堅実や円満だけではない、一頭地抜けた個性や天才的な閃きが欲しくなる。なにしろ、ランパルやニコレのような凄い高みに達した演奏を耳にした身には、大概の録音は普通すぎてどうにも物足りないのだ。
そもそもユレル嬢のフルートは際だった主張に乏しいため、ドビュッシーのソナタではヴィオラの
アルノー・トレット Arnaud Thorette の気迫と切れ味に太刀打ちできず、「シュリンクス」では感情移入たっぷりの朗読にすっかり押され気味だ。因みに朗読者
フロランス・ダレル Florence Darel 嬢はエリック・ロメール監督の《春のソナタ》(1989)で注目され、映画と舞台の両方で活躍を続ける女優。
本アルバムで「ほう! これは!」と耳を欹てたのは最後にアンコールふうに奏されるプーランクの独奏曲である。たった一分半足らずで終わってしまう小品ながら、メランコリックな情緒は紛れもないプーランクならではのもの。1997年に米国の
ランサム・ウィルソン Ransome Wilson というフルーティストがイェール大学の図書館で未整理の草稿楽譜を調べていて発見した由。無知な小生は初めて聴いたが、すでにエマニュエル・パユほか録音もいくつか存在するらしい。