昨日から降り続く雨はやむ気配もない。仕方なく在宅し、所在ないまま音楽を聴く。この季節に相応しいか否か判らないが、ドビュッシーの珍しい「若書き」を。
小生がドビュッシー聴き始めてから四十数年になるが、その間に彼の作品に対する知見は飛躍的に増大した。初期のパトロネスだったヴァニエ夫人のために書いた歌曲の数々が陽の目を見たのを皮切りに、LP時代には聴くことはおろか、存在すら殆ど知られなかったオペラ「ロドリーグとシメーヌ」だの、ピアノ曲集「忘れられた映像」だのといった未知の曲が次々に発掘され、CDでも容易に聴けるようになった。ここ数年間にも、最晩年のピアノ小品や、前奏曲集から漏れたピアノ曲の断片が出現してそこそこ話題となった。
最新にして最も目覚ましいニュースはドビュッシー初期の管弦楽曲の発見だろう。前々から研究者の間では楽譜の存在が噂されていたらしいが、生誕百五十年を機にめでたく蘇演と世界初録音が行われた。まずはそれから聴こう。
"Debussy - La Mer - Première Suite d'Orchestre"
ドビュッシー:
管弦楽組曲 第一番 (1882~84頃、フィリップ・マヌーリー補筆)*
■ 祭
■ バレエ
■ 夢
■ 行列とバッカナール
海 (1903~05)**
フランソワ・グザヴィエ・ロト指揮
レ・シエクル Les Siècles2012年2月2日、パリ、シテ・ド・ラ・ミュジック、10月13日、ロワイヨモン修道院*
2012年4月13日、ローマ、サンタ・チェチーリア国立音楽院**
Musicales Actes Sud ASM 10 (2013)
→アルバム・カヴァーううむ、覆面演奏で聴かされて、この管弦楽組曲をドビュッシーと見抜ける人がどれほどいるだろうか。大方グノーかマスネーの追随者の作とするのが精々だろう。所々ドリーブのようにも聴こえる。楽譜(ピアノ連弾譜と管弦楽譜)は親友ルロル旧蔵品だそうで、アメリカで見つかった由。僅かに三曲目「夢」に後年の彼の片鱗がある・・・と思いきや、この一曲だけ別人のオーケストレーションなのだとか。親しみ易い曲想が取り柄だが、ここから「牧神」への道程は遙かに遠い。ドビュッシーは一日にして成らず。ロト&レ・シエクルの「古楽器」演奏は思いのほか違和感なく、1950年代頃までのフランスの楽団を彷彿とさせる懐かしい響きがする。
"Claude Debussy et le prix de Rome"
ドビュッシー:
拳闘士 Le Gladiateur (1883)* [エミール・モロー詞]
祈禱 Invocation (1883)** [アルフォンス・ド・ラマルティーヌ詞]
選ばれし乙女 La Damoiselle élue (1888)*** [D・G・ロセッティ詞]
春 Printemps (1887)**** [無歌詞歌唱]
春 Printemps (1884)***** [ジュール・バルビエ詞]
ようこそ春 Salut Printemps (1882)****** [アナトール・ド・セギュール詞]
放蕩息子 L'Enfant prodigue (1884)******* [エドゥアール・ギナン詞]
ソプラノ/ギレーヌ・ジラール* *** ***** ****** *******
メゾソプラノ/ソフィ・マリレー***
テノール/ベルナール・リシュテール* ** *******
バリトン/アラン・ビュエ* *******
ピアノ/マリー=ジョゼフ・ジュード** **** ***** ******
ピアノ/ジャン=フランソワ・エセール** *** **** ***** ******
エルヴェ・ニケ指揮
フランドル放送合唱団** *** **** ***** ******
ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団* *******2009年6月25、26日、ヘフェルレー、ワーフェルセバーン、
イエズス会聖堂** *** **** ***** ******
2009年7月1~3日、ブリュッセル、ラ・モネー劇場サル・フィオッコ* *******
Glossa GES 922206-F (2009)
→ブック・カヴァー音楽院時代にドビュッシーが努力を傾注した「ローマ賞」応募作と、受賞後ローマから送った成果作("envoi")を集大成した労作アルバム。CD二枚組が入手し易いが、ドビュッシー愛好家なら詳細な解説が読める書籍版をこそ架蔵すべし。お仕着せの台本でカンタータを書かせる「ローマ賞」のシステムは大時代的で憎むべき代物だが、その結果ドビュッシーがドラマティック=オペラティックな書法を磨いたのは紛れもない事実。次席に甘んじた「
拳闘士」、晴れて大賞を得た「
放蕩息子」、それらと同時期の試作カンタータ、更にローマ留学の成果たる「
春」(1887版)と「
選ばれし乙女」までが聴けるのは難有い。この数年間で青年作曲家は朧げながら自らの個性を会得し、その遙か先に「ペレアス」を見据えたのだ。ドビュッシーがドビュッシーになるために不可避だった隘路を辿る劃期的なアルバムだ。