告知が遅くなったが、今日は
セルゲイ・プロコフィエフ Сергей
Прокофьев の誕生日である。1891年の生まれだから、今年は特に節目でもキリのよい年でもないので、誰もとりたてて話題にしないだろう。だが小生は毎年この日にはしみじみ不世出のロシア人を偲ぶことにしている。もちろん彼がわが鍾愛の作曲家だというのが最大の理由だが、実はもうひとつ、4月23日にどうしてもプロコフィエフを強く想わずにいられぬわけが別にある。
この日は小生をプロコフィエフ探索へと導いた
ノエル・マン Noëlle Mann 女史のご命日でもあるからだ。彼女は世界中のプロコフィエフ研究家が等しく恩を蒙った篤実な音楽学者にして偉大なる団体組織者だった。
前にも何度か話題にしたが、彼女と知り合ったのは全くの偶然からである。たまたまネットで調べ物をしていて、ロンドンに「プロコフィエフ・アーカイヴ」という施設があり、そこが興味深い研究誌を刊行しているのを知った。早速バックナンバーを何冊か送ってもらおうと担当者とメールの遣り取りをしていて、何通目かの末尾に「
プロコフィエフは1918年アメリカへ出国する途上、日本に立ち寄って演奏会を催しました。何人かの日本人が彼について記録を書き残しています」と追伸を書き送ったら、いきなり責任者のノエル女史からメールが届き、「
次号の研究誌のテーマがまさにその "Prokofiev in Japan" なので、貴方も何か英語で論考を寄せてほしい」と依頼されたのである。2007年11月のことだ。
人生にはときに奇遇ともいうべき不思議な出来事が起こるものだが、このコインシデンスはその最たるものだ。外国の音楽学者とメールを遣り取りすること自体、小生には初体験だったのだが、よりによって英国のプロコフィエフ研究者らが日本に注目したまさにそのとき、何も知らずに極東からメールを送ったのだから、これはあまりにも出来過ぎた偶然というほかない。音楽の神様の仕業だろうか。
辞書と首っ引きで必死に書いた英文の論考(生まれて初めてである)はノエル女史が念入りに校閲・改訂して下さり、めでたく雑誌に掲載された。東京に滞在中のプロコフィエフにピアノ・ソナタを註文した徳川頼貞に関する小論である。
掲載誌を受け取りにロンドンまで出向いた。なにしろ小生はまだプロコフィエフ・アーカイヴに足を運んだことがなかったのだ。2008年5月、アーカイヴのあるゴールドスミス・カレッジで、刷り上がったばかりの雑誌を初対面のノエル女史から直接に手渡された。感激の瞬間だった。
ノエル女史は実にさばさばとした、頭の回転の速い素敵な女性だった。お目にかかるなり、その率直な人柄に魅せられた。彼女が指揮する合唱団の演奏を聴いたのち、またの再会を約して辞去したのだが、これが最初で最後の邂逅となってしまった。それから二年もしないうちに彼女は病に斃れたのだ。六十三歳という働き盛りだった。2010年4月23日のことである。
彼女を知る誰もがうちのめされた。ノエル女史はプロコフィエフ・アーカイヴの創設者にして組織の大黒柱であり、彼女なしではその行く末が案じられるからだ。同時に、彼女が半生の情熱を傾けた大作曲家の誕生日当日に卒然と世を去った事実にも、偶然と呼ぶには不思議すぎる暗合を感じずにいられなかったものだ。
この特別な一日のために、取って置きのディスクをかけよう。
"Prokofiev: Violin Concertos - Leila Josefowicz"
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第一番
チャイコフスキー: 憂鬱なセレナード
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第二番
ヴァイオリン/リーラ・ジョゼフォウィッツ
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団1999年5月20、21日、モントリオール、サン・トゥスターシュ教会
Philips 462 592-2 (2001)
→アルバム・カヴァープロコフィエフの二曲のヴァイオリン協奏曲を組み合わせたディスクは枚挙に暇がなく、秀逸な名演が数知れず残されている。そのなかで当ヴァイオリニストはさして個性的なわけでなく、指揮のデュトワも何故か控えめで存在感が希薄。折角の記念日にわざわざ耳を欹てるような演奏ではなさそうである。だが本盤には唯一つ、他のディスクでは代えがたい、比類なき特徴が備わっているのだ。
このCDを価値あらしめているのは、収録された演奏そのものよりも、むしろ随伴するライナーノーツなのである。楽曲解説をほかならぬノエル・マン女史が書いているのだ。滅多にないことだ。しかもその内容が実に素晴らしい。
多忙な彼女がCDライナーを寄稿すること自体が珍しいのだが(他に《三つのオレンジへの恋》全曲盤位か)、いったん執筆を引き受けたならば、通り一遍な文章で済ませないのが彼女ならではの流儀である。アーカイヴ管理者という立場を最大限に生かして、ノエル女史はそれまで誰も省みることのなかったプロコフィエフとヴァイオリン奏者
ロベール・ソエタンス Robert Soëtens との未公刊の往復書簡に目を通し、両者の間で何が起こったかを探求している。云うまでもないことだが、このソエタンスこそはプロコフィエフ円熟期の不滅の傑作、第二ヴァイオリン協奏曲の発注者にして初演者なのである。
ノエル女史のライナーノーツはアーカイヴ史料を踏まえて第二協奏曲の誕生を跡づけた実証的な内容であり、本来ならば学術論文にでも仕立てうるような貴重な情報を含んでいる。これまで注目されてこなかったが、プロコフィエフ研究者ならば刮目して熟読すべき好エッセイである。
これはノエル女史の歿後のことなので彼女は知る由もないのだが、ソエタンスが著した私家版の自叙伝が日本でみつかり(晩年のソエタンスに師事した坂野洋一さんが秘蔵していた)、その出現を機にプロコフィエフ・アーカイヴが所蔵するソエタンス=プロコフィエフ関連の資料に新たな光が投げかけられた。
両者の往復書簡は年代を追ってつぶさに読み解かれ、これまで謎だった第二協奏曲のジェネシス(誕生の由来)が初めて明らかになった。ノエル女史の愛弟子である布川由美子さんとともにその作業に加われたことは、小生にとっても望外の歓びである。二年がかりで論考が仕上がったあと、たまたま中古盤で手にしたこのCDから、十年前すでにノエル女史が同じ史料を踏まえてライナーを執筆していた事実を知って、改めて彼女の博捜ぶりと先見の明に頭が下がる思いがした。