寝坊して布団のなかで「バラカン・モーニング」を聴いている。昨日の疲れからか、体の節々が痛くて起き上がるのが難儀だ。つい先ほど懐かしい往年の英国歌手
シラ・ブラック Cilla Black の歌がかかった。"Anyone Who Had a Heart"──邦題はたしか・・・「恋するハート」だったかな。バート・バカラック&ハル・デイヴィッド作品だと迂闊にも今まで気づかなかった。これは1964年のスマッシュ・ヒット、日本では66年の「アルフィー」ほどは聴かれなかったように思う。シラ・ブラックとは変わった名前だが、本当の苗字は「ホワイト」──Priscilla White といった。
昨日は昼前から埼玉の実家に赴いて、妹と二人で夕方まで埃に塗れながら冷えきった部屋でせっせと片付けに勤しんだ。もう数年来ここには誰も住んでおらず、不用心だし不経済でもあるので手放そうと決断した次第。この家で十代をずっと過ごした妹とは異なり、ここに数年しか暮らさなかった小生にとって、忘れがたい思い出なぞは皆無だから、売却にさしたる感慨を抱くわけではない。むしろ厄介払いよろしく積年の懸案が解決してホッと安堵したところである。
相談も無しに大学を辞めて両親との同居が気まずくなり、口論の挙句に家を飛び出したのが1975年の秋口のこと。文字どおり身一つで上京したから、その時点で部屋に放置した一切合財が、四十年後の今まで手つかずに残されていた。大半は取るに足らぬ身辺の品々──殆どは紙屑同然──なのだが、それでも半世紀近く経つと稀少価値が自ずと生じてしまい、無下に捨て去ることはできかねる。
あの箱の中味はなんだろう──埃をかぶった段ボールを開けるとなかから丸めたポスターがどっと出てきた。1970年の
アルヘリッチ初来日時の読響との演奏会ポスター、73年の
ジャクリーヌ・デュ・プレ来日公演ポスターは今となっては貴重である。《八月の濡れた砂》《赤い鳥逃げた?》《竜馬暗殺》公開時のポスター。74年4月
ユーミンのデビュー・コンサートのポスターもある。75年1月19日「
歌う銀幕スター夢の狂宴」のポスターも綺麗な状態で出てきた。別の箱からは大瀧詠一の直筆サイン色紙なぞも現れて吃驚。どうやらLP「ナイアガラ・ムーン」発売当日に渋谷ヤマハで貰ったものらしい。すっかり忘れていたなあ。
さながらタイム・カプセルが開いて自分自身の1970年代といきなり出くわした感じがする。大昔のことなのに、つい先日のような気もするのは小生がそれだけ長く生きて老いさらばえたためだろう。それにしても、これら「稀少な紙屑」を一体どうすればいいのか。いずれ誰かに手渡さねばなるまい。トランプのジョーカーのようなもので、最後まで手許に留めておく訳にはいかないのだ。