今日は午前中から上京し、吉祥寺で知人と会う約束だったのだが、風邪がひどいので取り止めにした。いやなに、風邪引きは面会相手のほうなのだが。
そういう次第で急に暇になったので、家人と隣町まで乗合バスで買物に出たほかは在宅して読書と音楽で過ごす。明日はひょっとして大雪になるかもしれないという予報だ。そんな前夜に再びプロコフィエフを聴く。
"Prokofiev: 2 Piano Concertos - No. 3 & No. 5"
プロコフィエフ:
ピアノ協奏曲 第三番
ピアノ協奏曲 第五番
ピアノ/サンソン・フランソワ
ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
フィルハーモニア管弦楽団1963年6月27~29日、ロンドン、アビー・ロード・ステュディオズ
東芝EMI Seraphim TOCE 11338 (1999)
→アルバム・カヴァーLP時代にはそこそこ持て囃された録音だが、サンソン・フランソワの技量は自らもヴィルトゥオーゾだった作曲家が要求する水準には到達しておらず、今の耳からすると「細部がきちんと弾けていない」甚だ不正確な演奏ということになる。もはや忘却の淵に沈みかけたプロコフィエフ音盤といってよいだろう。
フランソワの実演は亡くなる前年の1969年暮、NHKのTVとFMで視聴しただけだ。当時の手控帖を繙いてみると、「
11・25 東京文化会館 ショパン/ソナタ ロ短調、シューマン/子供の情景、リスト/ハンガリー狂詩曲 第四番、(アンコール)アリャビエフ(リスト編)/うぐいす」と感想抜きで記すのみ。だから微かな記憶を頼りに書くが、この宵のフランソワの調子は芳しくなく、ほうぼうで指が縺れに縺れ、そのたび音楽の流れが滞る無残な出来だったと思う。酩酊しているのか病身なのか足元も覚束無く、TVで直視するのが辛くなる有様だった。
このときの悪印象があるものだから、フランソワのLPは殆ど買わなかった。このプロコフィエフも上野の文化会館の資料室で試聴はしたものの、「閃きと輝きを欠いた凡演」としか思えなかった。とりわけ第三協奏曲がそうで、なにしろ小生は同曲を二十九歳のアルヘリッチが弾くのを目の当たりにしていたから、「こんな生ぬるい演奏を誰が聴くものか!」と唾棄したものだ。
さて四十数年ぶり(!)に聴き直して、これはこれで悪くないプロコフィエフだと思い至った。第三協奏曲について云うなら、アルヘリッチ以降のピアニストの多くが指向する目覚ましく鮮烈な解釈の、フランソワは対極を行くものだ。
ただしそれを「生ぬるい」と感じたのは小生の耳が未熟だったせいで、彼は彼なりに「閃きと輝き」──ただし、眩い火花ではなく揺らめく燐光のような──を詩的なやり方で放散させていたのだ。このノンシャランな煌めきが感知できなかった己れの不明を今頃になって恥じている。
フランソワの持ち味はむしろ第五番のほうに顕著かもしれない。五楽章からなるアンバランスな構成と、奇妙に間歇的な(シューマネスクな?)印象を伴うこの難曲を、彼は実に屈託なく、ラプソディックな感興を醸しながら自在に弾ききっている。これほど得心のいく第五協奏曲の演奏は滅多にあるものでない。フランソワのプロコフィエフの良さに、遅蒔きながら気づいた。
伴奏指揮を
ヴィトルド・ロヴィツキが務めるのも本盤ならではの美点である。そもそもEMI録音にロヴィツキが登場するのは極めて珍しく(これだけかも)、これは彼のアビー・ロード・スタジオでの唯一の録音だと思う。
どうしてこういう人選が実現したのか、フランソワたっての希望だったのか、たまたまロヴィツキが訪英中だったのか、そのあたりの事情は詳らかでないが、結果的にこれは大吉と出た。先日も少し書いたが、ロヴィツキは協奏曲指揮の名人であり(プロコフィエフでいえば第五協奏曲をリヒテルとも録音している)、フランソワのかなり気儘なテンポ設定にピタリと合わせつつ、緩急自在の指揮ぶりを披露する。このアルバムの存在意義の半分は彼の功績に帰するといってもよさそうだ。
"Album Prokofieff"
プロコフィエフ:
ピアノ協奏曲 第三番*
「束の間の幻影」抜粋(Nos. 1, 3, 6, 17, 4, 18)**
トッカータ 作品11**
バルトーク:
二つの悲歌***
ピアノ/サンソン・フランソワ
アンドレ・クリュイタンス指揮
パリ音楽院管弦楽団*1953年3年23、26日*、4月4日**、パリ、シャンゼリゼ劇場
1955年11月4日、パリ、サル・ド・ラ・ミュテュアリテ***
東芝EMI TOCE 55440 (2002)
→アルバム・カヴァーフランソワによるプロコフィエフの第三協奏曲にはもうひとつ、きっかり十年前に録音したモノーラル盤も存在する。こちらはどうやらフランソワとの相性が良かったらしい
アンドレ・クリュイタンスの指揮。録音の優劣を別にすれば、この最初の録音のほうがフランソワのピアノがより霊感に富み、細部の彫琢もそれなりに細やか。解釈は再録盤と似通っているものの、テンポ設定に無理がなく、むしろこちらこそ推奨すべき演奏かもしれない。そもそもクリュイタンスの指揮するプロコフィエフ自体が珍しい聴きものだ(正規録音ではこれが唯一)。
更に貴重なのは併録された「束の間の幻影」抜粋(六曲)だろう。こういうファンタスティックな小品でこそ、フランソワの詩的な想像力が思うさま羽搏く。これは天下一品のプロコフィエフだ。「トッカータ」もそこそこ面白いが、技巧的な欠陥が露わで、さすがに今日では通用しない演奏だろう。
もうひとつ、フランソワによるプロコフィエフの第三協奏曲には
カレル・アンチェル&チェコ・フィルと組んだ実況録音も遺されている。両者の相性がちょっと心配な顔合わせだが、案の定これは破綻寸前の、それだけにスリリングな演奏だった(拙レヴュー
→アンチェル、フランソワ、プロコフィエフ)。まあ無理して手に入れるには及ぶまい。でも聴いてみたくなるでしょ?