とうとう大つごもりになってしまった。寝床のなかで「バラカン・モーニング」を聴きながら珈琲を飲んでいる。トム・ウェイツのしわがれた歌が流れてきた。
いろいろ書き漏らした記事があるような気がしているのだが、もう今年もこれで打ち止めだ。六十年以上も生きてきて、「こんな時代に誰がした」という焦燥と絶望に、これほどまで駆られた年はなかったとつくづく思う。光明はどこにも見えない。旧友のひとりが憤懣やるかたなく、「もう俺は知らない、この国がどうなっても知らないぞ」と息巻いていたが、そう云いたくなる気持ちもよくわかる。わかるのだが、彼にも子供がいるわけで、この国の行く末は容赦なく次世代の人生を左右する。火の粉は否応なしに誰の身にも降りかかってくるのだ。
毎日のように音楽を聴いていて、次第に「もうここにしか平穏はない」と感じているわが身を自覚せざるを得ない。現実逃避の一種に違いなく、不甲斐なくもあるのだが、精神の均衡を保つには今どうしても音楽が必要なのだ。かくも気高い世界を夢見ることができるのもまた人間なのだ、と思うことで救われる気持ちがする。
夏に出た本を今頃になって図書館で借りてようやく読んだ。ペーテル・バルトークの『
父・バルトーク』(村上泰弘訳、スタイルノート、2012)という回想録。副題に「息子による大作曲家の思い出」とあるように、ベーラ・バルトークの次男で録音技師として名高いピーター・バルトークが父と暮らした日々を述懐したものだ。四百五十頁もある大著だが、一気に通読して深い感銘を受けた。バルトーク家の人々もまた暴力的な時代に容赦なく翻弄され、大作曲家は愛する故国を遠く離れたまま死を迎えねばならなかった。それでも生きる目標と流儀を失わず、最期まで自分を見失わずに営々とライフワークに勤しむ姿にしたたか心打たれた。誰しも時代と無関係に生きることはできないのだ。
来年が少しでも光明の見える年でありますように。皆様に幸多きことを。