歳末の気忙しさに紛れうつかり忘れてしまつてゐた。昨日(十二月二十八日)は獨逸の作曲家
パウル・ヒンデミットの歿後五十週年の當日だつたのだ。
一日遅れてしまつたが、さゝやかながら紀念演奏會を執り行ひたい。正直な處ろくにヒンデミットを聽いて來なかつた小生なので架藏する音盤は甚だ尠いのだが、手近なディスクをば掻き集めて急拵への追善興行と參らふか。
"Enterprise: Hindemith"
ヒンデミット:
ヴァイオリン協奏曲 (1939)*
ウェーバーの主題に拠る交響的變容 (1943)**
交響曲「畫家マティス」(1934)***
ヴァイオリン/ダヴィッド・オイストラフ*
パウル・ヒンデミット指揮
ロンドン交響樂團*
クラウディオ・アッバード指揮
ロンドン交響樂團**
パウル・クレツキ指揮
スイス・ロマンド管絃樂團***1962年9月、ロンドン、ウェスト・ハムステッド、第三スタヂオ*
1968年2月、ロンドン、キングズウェイ・ホール**
1968年9月、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール***
Decca 433 081-2 (1992)
→アルバム・カヴァー"Enterprise" はデッカ社の音源から選りすぐつた20世紀音樂アンソロジー。流石に秀演揃ひで舌を巻く。最晩年のヒンデミットが全盛期のオイストラフを獨奏者にヴァイオリン協奏曲を指揮した稀少な記錄が今や忘却の淵に沈んだのは如何にも惜しい。「交響的變容」は弱冠三十四のアッバードが實力を世に披瀝した記念碑的な演奏だ(元の併錄はヤナーチェクのシンフォニエッタ)。「畫家マティス」はクレツキ最晩年の記録。アンセルメの後任としてスイス・ロマンドを振つてゐる。此れが滋味深い名演奏なのに驚く。矍鑠として同時代音樂を慈しむクレツキ翁!
"Paul Hindemith: Complete Cello Concertos"
ヒンデミット:
チェロ協奏曲 變ホ長調 (1916)
室内音樂 第三番 (1925)
チェロ協奏曲 (1940)
チェロ/ダヴィッド・ゲリンガス
ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮
クィーンズランド交響樂團1995年8月14~19日、ブリズベイン、フェリー・ロード
cpo 999 375-2 (1997)
→アルバム・カヴァー實演で滅多に聽く機會の無いヒンデミットのチェロ協奏曲を全部纏めて耳に出來る重寶な企てである。未だ個性を確立してゐない初期の秘曲(ブラームスかシュトラウスのよう)から円熟期の練達の作まで、作曲家の半生をざつと早分かりするには格好の一枚。ゲリンガスの澁く柔和な燻し銀さながらの音色に溜息が出た。
"Paul Hindemith: Complete Viola Works, vol. 1, Viola & Orchestra"ヒンデミット:
デア・シュヴァーネンドレーアー (1935)
葬送音樂 (1936)
室内音樂 第五番 (1927)
ヴィオラと大室内樂の爲の協奏音樂 (第一版/1930)
ヴィオラ/タベア・ツィンマーマン
ハンス・グラーフ指揮
ベルリン・ドイツ交響樂團2012年8月、ベルリン、ダーレム、イェズス=クリストゥス教會
Myrios Classics MYR 010 (2013)
→アルバム・カヴァー新錄音に拠り歿後五十年を紀念するアルバムである。「白鳥を廻す人」はタベア嬢にとつて二度目の挑戰、進境著しい目の醒めるやうな演奏だ。併せてヒンデミットの全ヴィオラ協奏曲が集大成されたのは眞に時宜を得た企てである。作曲家はヴィオラ奏者でもあつたから、その愛着と習熟は他の樂器の比では無かつた。因みに「白鳥廻し」がヒンデミットゆかりの地伯林で錄音されたのは史上初だらう。
"Hindemith plays Hindemith"
ヒンデミット:
デア・シュヴァーネンドレーアー*
葬送音樂**
四手の爲のピアノ・ソナタ (1938)***
ヴィオラ・ソナタ 第三番 (1939)****
ヴィオラ/パウル・ヒンデミット* ** ****
アーサー・フィードラー指揮 アーサー・フィードラー・シンフォニエッタ*
ブルーノ・ライボルト指揮 絃樂合奏團**
ピアノ/ヘスス・マリア・サンロマ*** ****+パウル・ヒンデミット***1939年4月12日*、21日**、24日*** ****、ボストン
Biddulph LAB 087 (1993)
→アルバム・カヴァー事の序でに「白鳥を廻す人」の世界初録音も聽いてみた。勿論ヒンデミット自身のヴィオラ獨奏で。1939年4月と云ふから世界大戰勃發の五箇月前の錄音である。不馴れな米國樂團員の伴奏の不首尾はさて措き、亡命を目前に控へた作曲者の自作自演がボストンで爲された意義は大きい。ヴィオラ奏者としてのヒンデミットはヴィブラートこそ最小限だがしみじみと歌ひ、新卽物主義者の意外な側面を覗かせる。最新作だつた四手用のピアノ・ソナタや、作曲されたばかりの第三ヴィオラ・ソナタは、危機的な時期の只中で書かれた作品であり、渦中にあつたヒンデミット自身の生々しい演奏がかうして聽けるレコード藝術の眞價は計り知れない。
"Szymon Goldberg / Miyoko Yamane"
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第五番「春」
ドビュッシー: ヴァイオリン・ソナタ
ヒンデミット: ヴァイオリン・ソナタ (1918)
ヴァイオリン/シモン・ゴルトベルク
ピアノ/山根美代子1991年6月6~11日、富山市民プラザ アンサンブルホール
東芝EMI PCDZ 1594 (1998)
→アルバム・カヴァーお仕舞ひにアンコール風にヒンデミットをもう一曲。提琴奏鳴曲である。云ふ迄も無からうが、ゴルトベルクは1930年代初頭の伯林でヒンデミット、フォイアーマンと共に絃樂三重奏團を組んでゐた間柄であり、生涯最後のスタヂオ錄音にベートーヴェン、ドビュッシーと竝んで曾ての盟友の奏鳴曲が選ばれた事實に深い感慨を禁じ得ない。恐らく彼が殘した同曲の唯一の錄音であり、ゴルトベルクが終の棲家と思ひ定めた極東の富山の地で、遺言とも云へる錄音がデジタルで爲された僥倖に感謝する外なからう。最晩年の伴侶だつた山根美代子のピアノも秀逸だ。