かつてあれほど盛り上がったのが嘘のようにパーシー・グレインジャー熱が冷めてしまった。小生の個人的な心変わりの話ではない。どうやら世界的な趨勢らしいのである。歿後五十周年の2011年を潮に、CD新譜もパタリと途絶えてしまい、彼の名前を目にする機会すら絶えてなくなったのは一体全体どうしたことか。グレインジャーは一時の流行りものだったのだろうか。だとすれば悲しすぎる。
"Ever Yours: Selected Music and Letters of Percy Grainger"
パーシー・グレインジャー:
モリスもどき
12月6日木曜日の午後、短い講演をすることになっている
私のロビンは緑の森に
親愛なる "København"
コロニアル・ソング
私は転換点に立っているところだ
ドリーマリー
作曲は私の生命保険のようなものだと思って取り組んでいる
収穫の讃歌
私のような賢明で洗練過多で好色で野性的なタイプの人間を創るには
愛の力
1932年か1933年に妻と私はタオル地で衣服を作ることを思いついた
ナイチンゲールと二人の姉妹
親愛なるワインフライド夫人
アイルランド、デリー州の調べ
私の心と頭が警告を発しています
楽しい鐘の音
哀しみは私にとって有意義だし生産的です
ある朝早く
母を失って父をますます愛するようになりました
モールバラ公爵のファンファーレ
君は知っているかい、ねえカレンちゃん
固定されたド音
朗読/デイミアン・ボーモント
デイヴィッド・スタンホープ指揮
アデレイド交響楽団2003年9月30日~10月2日、アデレイド・タウン・ホール(演奏=太字部分)
2011年8月31日、シドニー、オーストラリア放送協会アルティモ・センター、スタジオ257(朗読)
ABC Classics 476 4628 (2011)
→アルバム・カヴァーグレインジャーばかりを纏めて聴くのはずいぶん久しぶりだなあと思う。ひょっとして2011年以来かも知れない。あの年には東京でも宮澤淳一さんの肝煎りで名手ペネロピ・スウェイツを招いて青山学院キャンパスで演奏会が催された(その日のレヴュー、ただし尻切れ蜻蛉だが
→ここ)。改めて耳にして、本当に唯一無二、かけがえのない音楽だとしみじみ感じ入った。
そもそも2011年のアニヴァーサリー・イヤーは母国オーストラリアではどれほど祝われたのだろうか。盛大な音楽祭があったという話は寡聞にして聞かないし、記念切手一枚発行されなかった。CDもオーストラリア放送協会(ABC)からこの一枚がひっそり出ただけだと思う。しかもデータをみると2003年の旧録音の蔵出しである。同年秋アデレイドでグレインジャー音楽祭が開催されたので、演奏部分の音源は恐らくその折の置き土産(元は放送用か)と想像される。
それでも聴いてよかった。これは掬すべき名演である。管弦楽の小品ばかり十二曲、その合間にグレインジャーの書簡の一節が朗読されるという珍しい構成をとり、ディスク全体として彼の生涯と人間が浮き彫りにされるという恰好だ。タクトを執る
デイヴィッド・スタンホープは豪州ではよく知られた作曲家・指揮者だそうで、グレインジャー演奏には定評がある由。グレインジャーの伝記映画《パッション》(1999)では音楽を担当し、主役リチャード・ロクスバラが劇中で弾くピアノも彼が吹き替えたそうだ(以上は当CDのライナーノーツからの受け売り)。
朗読される手紙の引用が余りに短いのと、前後の音楽との内容的な繋がりが希薄なのが欠点ではあるが、グレインジャー早わかり("in a nutshell")入門篇としては十分すぎる内容だろう。ライナーノーツも充実。ただし本盤はほとんど輸入されなかったし、早々と品切になってしまい、今頃ようやく中古で手にした。ともあれ、これは記念年を寿ぐ一過性のアイテムではなく、愛好家なら手許に置いて末永く愉しむべきディスクだろう。グレインジャーをいつまでも忘れずにいよう。