古書店へ足を運ぶ機会がめっきり尠くなった。千葉では近所に碌な店がないこともあるが、それよりも老境に入って残りの人生を自覚したため、あてどなく探求書を捜し歩く時間が惜しくなったのが大きい。むしろてっとり早くアマゾンや「日本の古本屋」で註文してしまう。これだと最短距離で探し物に辿り着けるのだが、その半面、思いがけず未知の本と遭遇する妙味は失われた。まあ、そうした道草の愉しみは二十代、三十代の頃たっぷり味わい尽くしたのだから文句は云うまい。
若い頃、古本屋での振舞に関して諸先輩からきつく厳命された「掟」がある。
1) 棚から本を引き出すとき、背の上端に指を掛けないこと。
2) 値付けには異を唱えない。すなわち、決して値切らないこと。
3) 店内で未整理の本の山には決して手を触れないこと。
1)はまあ常識だろう。脆弱な古書でこれをやられると確実に傷む。カヴァーが破れかけていたり、本体の花布(はなぎれ)が弱くなっている場合もしばしばだ。
2)には異論もあろうが、新刊書と違い、古本は仕入れ価格がそのつど異なるから、値付けの高低にはそれぞれ理由があろう。だから高くても文句は云えない。買わなければいいだけの話だ。植草甚一がいつも消しゴムと鉛筆を携帯し、不当に高い古書の値を抹消して適正価格を書き入れたという有名な伝説があるが、あれは植草御大だからこそ笑って済まされる「暴挙」だったのである。
3)はちょっと説明が必要だろう。どの古本屋でも店主の坐る傍らに、まだ値付けされていない未整理本がしばしば堆く山をなしている。ちらと目を走らすと面白そうな本の背表紙が目に入ったりする。その場合でも手に取ったり、価格を尋ねたりしては断じてならない。それらはまだ売り物ではないのだから。これは中古レコード屋でも同様であり、昔たまたま訪れた池袋の店で先客が未整理のLPの山にふと手を伸ばし、「これ、いくらですか?」と訊ねたところ、店主はいかにも憮然とした表情で語気鋭く「
どれも十万円!」と言い放ったものだ。
そういう次第だから、これまで四十余年の古本人生で、この三大禁則をずっと忠実に遵守してきた。中古レコードでも同じ流儀だ。その場合は 1)に代わって、
1)' 見終わったLPレコードを手荒にストンと落下させないこと。
が掟となる。ジャケットが底抜けするのを防ぐためだ。
ところが十年ほど前だったか、たった一度だが、古本屋で自らに厳しく課してきた掟を迂闊にも破ってしまったことがある。恥ずかしいのでこれまで口外してこなかったが、禁則 3)に背く重大な違反行為に手を染めたのである。
その日ははるばる西荻窪まで赴いた。いつものように馴染の古本屋「
音羽館」でたっぷり時間をかけて棚という棚を物色した。どんな収穫があったのか、もう記憶にないが、この店のことだ、手頃な値段で文芸書やら芸術書やら文庫やらを発掘し、レジに持参しては店主の広瀬さんと少し雑談したのだと思う。
四方山話のさなか、見るともなしに傍らの古書の山にふと目を遣った。何かを捜すつもりは毛頭なく、ごく自然に視野に入ったといおうか。
古びた見慣れない本が山の頂にあった。サイズは小ぶりな四六判、朱赤の地色に小紋を一面に散らしたような愛らしい装幀だ。近寄って表紙を覗きこむと、白抜きしたタイトル窓には何やら影絵が配され、その上方に明朝体でさり気なく、
ドリトル先生「アフリカ行き」
とある。俄かに胸騒ぎがした。目を凝らして背の文字を読むと、標題の下に小さく
ロフティング作
井 伏 鱒 二 譯
とあるではないか! ひょっとしてこれは、誰も見たことがない、あの幻の...
小生の脳裏ではどこかで読んだ覚えのある文章の朧げな記憶が渦巻いた。
私の書斎(というのも、少し大げさすぎるのだが)の本棚の一隅に、私が物を書きかけたころの、思い出は深いが、ほかの人には価値のない本を積み重ねておく場所がある。
その中に、幅十三センチ、縦二十センチ弱、厚さ一センチほどの、まことにスレンダーで可憐な、赤い表紙の、特別な本が一冊、はさまっている。ほかの本は日に焼け、よごれているが、この本だけは表紙の色が褪せないように紙で包み、ビニールの袋に入れてある。私は、時どき、この本を出しては眺めるのだが、その度に、もしこの本が井伏さんのお宅に残っていれば、別の話だけれど、もしそうでなければ、この本は日本にこれ一冊ということになるかもしれない。[…]
奥付を見れば、すぐわかることだけれど、この本こそは、昭和十六年一月二十四日発行の井伏鱒二訳、『ドリトル先生「アフリカ行き」』の初版本(白林少年館出版部版)なのである。この奥付のいく行もない活字にざっと視線を移していくだけでも、私の胸には、さまざまな思いがこみあげてくる。
──石井桃子 「井伏さんとドリトル先生」 (1998)
曲がりなりにも公刊された書物なのだから、同書の生みの親たる石井桃子さんの云う「
日本にこれ一冊」という事態はまさかあり得まい。実際、国会図書館関西館と国際児童文学館(大阪)と三康図書館(東京)には架蔵されてはいるものの、これが稀覯本中の稀覯本であることは疑いない。小生とて実物を目にするのは初めてである。児童文学翻訳史上に特筆すべき重要書目であるばかりか、世にも名高い井伏鱒二「ドリトル先生」ものの嚆矢にあたる一冊でもある。児童書収集家にとっても井伏本の愛好家にとっても垂涎の的に違いなかろう。
努めて冷静を装いながら、その本を小生はそっと手に取ると、帳場の広瀬さんに向かって思わず問いかけてしまった──「
これ、いくらするの?」と。
すぐさま自責の念に捉われた小生は、これが「かなり探しにくい」児童書であり、井伏鱒二ファンも「恐らく欲しがるだろう」旨、もごもご口籠もるように告げたのだと思う。黙っているのはいくらなんでも卑怯だから。
広瀬さんはちょっと困ったような表情になり(そりゃあそうだろう)、ひとしきり考えた挙句、「
三千六百円でどうですか」と応じた(「三千八百円」だったかも)。
小生とてこの稀覯本の値段など知る由もない。滅多に市場に出ないものだから相場は誰にもわからないのだ。「一万円」といっても通るし、「二万五千円」といっても買う人がいるだろう。だから小生は逡巡せずに「
買います」と即答したのである。
申し訳ないことをしたと直ちに後悔した。実は今でも悔やんでいるのである。守るべき「掟」を破ってしまった慙愧の念は無論だが、それだけではない。
誰もが知るように「音羽館」はどこよりも良心的な値付けをする店なので、法外な言い値など端からあり得ない。こうなる結果は初めから予想できたのである。だからこそ、その場では即答を求めずに「来週また訪ねるから、それまでに値段をつけておいて」と紳士的に応ずるべきだった。後悔先に立たずとはこのことだ。
そんな訳で、音羽館で広瀬さんに会う度毎に、罪の意識、といったら大袈裟だが、なんだか身の置き処がないような、いたたまれないような心持になる。自分を逮捕した刑事に街中で再会したコソ泥が感じるだろうバツの悪さ、といったらいいだろうか。古本屋では「掟」を絶対に遵守すべきなのだ。