[...] もともと岩波書店の意向は書店の読者を、タテに大人から子どもまで通そうということだったんです。岩波の本は難しいものが多く、全国にインテリ層の固定読者がいるわけですね。下から一本岩波の線を貫かないと本当の読者の獲得にはならないし、損でもあるわけです。それに読書は小さい時からつながっていないといけないので、[...] ある時期がきたら、さあ少年文庫にとりつけといっても無理なんですね。[...] 絵本は、岩波の読者を子どもから大人までという発想から出て来たのです。いきなりの引用で恐縮だが、語り手はほかならぬ石井桃子その人。岩波書店の嘱託だった彼女を中心に企画・編集され、1953年暮れから刊行が始まった絵本シリーズ「
岩波の子どもの本」の、創刊に至る経緯を証言した貴重なインタヴューの一齣である(「『岩波の子どもの本』の頃」 『月刊絵本』1974年2月号)。
引用文中「絵本」とあるのが同シリーズのことで、「少年文庫」とは「岩波の子どもの本」に先立つこと三年、1950年暮れにスタートした「岩波少年文庫」である。石井が乞われて岩波に入ったのは、この「岩波少年文庫」創刊が契機だった。
岩波書店は戦前から児童読物にも意欲を覗かせていた。ヒュー・ウォルポール『ジェレミー
一幼児の生ひ立』(1937)、スーザン・クーリッジ『ケーティ
一少女の家庭生活』(1938)、ルイザ・メイ・オルコット『ポリー
昔気質の一少女』(1939)などの翻訳物を嚆矢とし、戦時下の40年代には高学年向けの科学読物「少国民のために」シリーズを刊行していた。よく知られるように、翻訳家・石井桃子の処女作『熊のプーさん』(1940)、『プー横丁にたった家』(1942)も、この時期に岩波から出た。
こうした経緯から、「岩波少年文庫」も「岩波の子どもの本」も戦後の時流に乗った俄か仕込みの企画ではなく、同社が永らく温めてきた腹案の実現であることが想像される。そもそも疎開先の宮城で百姓をやっていた石井を、三顧の礼で児童書の編集に迎え入れたことからも、その意気込みのほどが知れよう。社内における最大の推進役は小林勇。創業者・岩波茂雄の女婿である彼は当時は岩波書店の専務取締役、出版事業の中枢に位置していた。
[...] 欧米諸国では子どもの本の出版部数の七、八割は図書館に入るのですが、日本ではあの当時図書館に入るものなどほんの僅かでした。だからどういう本が長く愛されるかというようなめど [傍点] もたたずにどんどん消えていってしまいましたね。アメリカやヨーロッパでは二十年三十年と読まれている本があり、次の世代にもちゃんと受けつがれているわけです。でも、日本では安くすることが多勢の人に普及することになるので、安くすることを真剣に考えました。その点小林勇さんや長田幹雄さん(当時の岩波書店重役)が本当に一生懸命やってくださったんですよ。「アメリカやヨーロッパでは二十年三十年と読まれている本があり、次の世代にもちゃんと受けつがれている」──それに比してわが児童書の不甲斐なさはどうだ。石井の口調には羨望と無念とが滲んでいる。「日本では安くすることが多勢の人に普及することになる」──だからこそ「安くすることを真剣に考え」たというのである。売れなければ、普及しなければ、読み継がれ生き永らえなければ、絵本も児童読物も世に問う意味がないのである。
石井桃子たちの悲願はものの見事に叶えられた。創刊以来六十年、「岩波の子どもの本」シリーズはほぼ途切れることなく版を重ね、今なお大半の書目が創刊そのままの判型と装幀を保ちながら刊行され、愛読されている。わが国の児童書出版史上これは空前絶後の事例である。快挙とはこのことだ。
試みに創刊当初のラインナップを列挙してみよう。
第一回配本(1953年12月)
■ ちびくろ・さんぼ*
へれん・ばんなーまん/文
ふらんく・とびあす+岡部冬彦/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ ふしぎなたいこ
(日本昔話)
清水崑/絵
岩波書店編集(=石井桃子/文)
■ ねずみとおうさま
コロマ神父/文
土方重巳/絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ みんなの世界
マンロー・リーフ/文・絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ スザンナのお人形 +ビロードうさぎ
(フランス民話?)+マージェリイ・ビアンコ/文
高野三三男/絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ 山のクリスマス
L・ベーメルマン(=ルートヴィヒ・ベーメルマンス)/文・絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳編)第二回配本(1954年4月)
■ まいごのふたご
あいねす・ほーがん/文
野口彌太郎/絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ おかあさんだいすき
おかあさんのたんじょう日+おかあさんのあんでくれたぼうし
まーじょりー・ふらっく+(スウェーデン民話)/文
まーじょりー・ふらっく+大澤昌助/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ ちいさいおうち
ばーじにあ・ばーとん/文・絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ ナマリの兵隊 +長ぐつをはいたネコ*
ハンス・アンデルセン+シャルル・ペロー/文
マーシア・ブラウン/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳編)
■ 海のおばけオーリー*
マリー・ホール・エッツ/文・絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ 金のニワトリ
エレーン・ポガニー/文
ウィリー・ポガニー/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)第三回配本(1954年9月)
■ どうぶつのこどもたち
おりのなかのこども+めんどりと10ぱのあひる+ばかなこねずみ
サムエル・マルシャーク/文
チャルーシン+レーベデフ/絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳編)
■ おそばのくきはなぜあかい
石井桃子/文(日本昔話)
初山滋/絵
岩波書店編集
■ もりのおばあさん
ヒュウ・ロフティング/文
横山隆一/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ アルプスのきょうだい
ウルスリのすず+フルリーナと山の鳥
ゼリナ・ヘンツ/文
アロワ・カリジェ/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ 百まいのきもの**
エリノア・エスティーズ/文
ルイス・スロボトキン/絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ 村にダムができる*
クレーヤ・ロードン/文
ジョージ・ロードン/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)第四回配本(1954年12月)
■ ひとまねこざる
エッチ・エイ・レイ/文・絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ はなのすきなうし
マンロー・リーフ/文
ロバート・ローソン/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ こねこのぴっち
ハンス・フィッシャー/文・絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ 九月姫とウグイス
サマセット・モーム/文
武井武雄/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)
■ ツバメの歌 +ロバの旅
レオ・ポリディ+アン・ノーラン・クラーク/文
レオ・ポリディ/絵
岩波書店編集(=石井桃子/訳)
■ どうぶつ会議
エーリヒ・ケストナー/文
ワルター・トリヤー/絵
岩波書店編集(=光吉夏弥/訳)目も眩むラインナップである。ヴァージニア・リー・バートンがあり、マンロー・リーフがあり、マージョリー・フラックがある。マリー・ホール・エッツもマーシャ・ブラウンもスロボトキンも登場する。選書に米国絵本への偏りは否めないものの、ハンガリー出身のウィリー・ポガニーやスイスのアロイス・カリジェやハンス・フィッシャーなど、欧州系の絵本作家への目配りも忘れない。
日本の挿絵画家では、清水崑、横山隆一のような漫画家や、高野三三男、野口弥太郎、大沢昌助のような洋画家を果敢に起用し、戦前からの童画家の大御所である初山滋に日本昔話を、武井武雄にサマセット・モーム唯一の童話を割りふるなど、秀抜な深謀遠慮が際立つ。実に見事というほかない人選である。
なにしろ六十年にわたって読み継がれてきた老舗の絵本シリーズだから、第一世代たる小生のような初老の者から21世紀の子供たちまで、世代を超え数知れぬ熱心な読者を得て、「初めて手にした一冊」として忘れ得ぬ思い出を残してきた。『
ひとまねこざる』の主人公「おさるのじょーじ」に自己同一化した読者は数知れないだろうし、『
どうぶつ会議』はのちに出たケストナー全集でも大型絵本でもなく、この小型版絵本をこそ愛する者(かく云う小生もそうだ)が少なくない筈だ。
思いつくままいくつか例を挙げるならば、小生の旧友はハンドルネーム「
おらが」を名乗っているが、勿論これはマンロー・リーフの民主主義絵本『
みんなの世界』の我儘な主人公に因んだネーミングだ。映画化が進む中島京子の直木賞受賞作の標題『小さいおうち』がヴァージニア・リー・バートンの傑作『
ちいさいおうち』に想を得たのは論を俟たない。わが恩師である小倉朗はプロコフィエフの向こうを張って、朗読附き音楽物語『
海のおばけオーリー』を作曲した(1963初演。傑作である!)。小倉さんには小さなお嬢さんが二人いたから、マリー・ホール・エッツのこの絵本は当時の小倉家における愛読書だったに違いない。
上に列挙した「岩波の子どもの本」──最初の一年間に出た二十四点──のうち、「*」印の四点を除く二十点が今も刊行されている(2013年9月現在/『ちびくろ・さんぼ』は絶版。『ナマリの兵隊+長ぐつをはいたネコ』はのちに改訳され二冊の大型絵本『スズの兵隊』『長ぐつをはいたネコ』として再刊されたが品切)。『百まいのきもの』は品切中ながら、改訳版『百まいのドレス』で入手できる。『海のおばけオーリー』はやがて出た大型絵本で読めるので、実に二十四冊中二十一冊までが六十年後の今なお現役なのである。これはちょっと凄いことではなかろうか?
(明日につづく)