フランシス・プーランクはわが熱愛の対象である──満天下にそう云いふらしたいのは山々なのだが、断言できないもどかしさが付き纏う。昔からずっと好きで堪らないのは彼の音楽の半面でしかない。そういう自覚があるものだから、いつも口籠もってしまう。思い切り羽目を外して哄笑する「
お巫山戯」プーランクは大好きなのに、神妙な仏頂面でしめやかに祈りを捧げる「
生真面目」プーランクには、反感とまで云わないまでも、どことなく違和感や居心地の悪さを感じてきた。愛憎半ばする対象、と云ったら、いくらなんでも誇張しすぎなのだが。
プーランクのそうした二面性を端的に示す作品としては、前者(仮に「俗」と呼ぼうか)ならばバレエ「
牝鹿」と歌劇「
ティレジアスの乳房」があり、後者(こちらは「聖」)の代表格としては、彼が折りに触れ作曲した宗教音楽の数々と歌劇「
カルメル会修道女の対話」が挙げられるだろう。
ヤヌス神さながら対照的な二つの貌をもち、時と場合に応じて聖俗を自在に使い分ける作曲家に、どこか正体が摑みきれないもどかしさや謎めいた内面を常に感じ続けてきた。モーツァルトがまさにそういう人物だったぢゃないか、と云われればそのとおりなのだが。因みにモーツァルトこそはプーランクの憧憬の対象だった。
今年はたまたまプーランクの歿後五十周年に当たっている。この機会になんとか彼を「全人的に」まるごと愛したいものだ、とつらつら考えていたところ、好都合にもこんなディスクが出現した。
"Francis Poulenc: Stabat Mater -- Les Biches"
プーランク:
スターバト・マーテル*
牝鹿**
ソプラノ/マルリス・ペーターゼン*
ステファーヌ・ドネーヴ指揮
シュトゥットガルト南西ドイツ放送交響楽団
シュトゥットガルト南西ドイツ放送声楽アンサンブル
北ドイツ放送合唱団
2012年3月23日、シュトゥットガルト、リーダーハレ、ベートーヴェン楽堂(実況)*
2012年3月12~15日、シュトゥットガルト、南西ドイツ放送局スタジオ**
Hänssler SWR Music CD 93.297 (2012)
→アルバム・カヴァー
プーランクを聴き始めてかれこれ四十五年になるが、このようなカップリングのアルバムは知る限りで皆無だった。俗っぽい陽気な「
お巫山戯」プーランクと聖なる高みへと誘う「
生真面目」プーランクとが一枚のディスクに隣り合って収録される。こんな事態を目にしたのは初めてである。コンピレーション・アルバムならともかく、これがオリジナルのカップリングなのだから驚く。
録音データから推理するに、まずコンサートで「スターバト・マーテル」を演奏することが決まり、その実況録音に先だち、十日ほど前に同メンバーを集めて「牝鹿」の録音セッションが組まれたと察せられる。この二曲を組み合わせてアルバム化するのはどうやら既定の方針だったらしいのである。勿論これは翌年(つまり今年である)に迫ったプーランク歿後五十年を先取りする記念イヴェントであろう。
まず実況録音の「
スターバト・マーテル Stabat Mater」から。上述のとおり小生はプーランクの宗教曲を大の苦手としており、これまで実演はおろか音盤でも数えるほどしか聴取体験がない。架蔵するディスクも初録音であるルイ・フレモー指揮のもの、プレートル指揮による新旧両盤くらいで、数多ある近年の同曲CDをまともに聴いていないので、碌な感想も書けやしないのだが、それでも今回の演奏にはひどく心を動かされた。
なにしろドネーヴの音楽づくりが秀逸だ。テンポ配分が周到で緩急自在、各曲が迷いのない明快さで性格づけられていく。起伏のつけ方に無理がなく、適度なメリハリが心地よい。思わず引き込まれ、聴き惚れてしまう。よほど指揮に統率力があるのだろう、実況だというのに合唱に殆ど隙や乱れのないのにも驚く。これは卓越した演奏ではなかろうか。「スターバト・マーテル」は確かに名作である!
このあと間髪を入れず「
牝鹿 Les Biches」に雪崩込むのは些かスリリングな体験だ。だが予想したほどの落差や断絶を感じさせないのは、プーランクの聖俗両面の間には小生が思い込んでいたほど隔たりがないということなのか。
さて「お巫山戯」プーランクなら任せてほしい。自信をもって判断できる。「牝鹿」だったらバレエそのものも実見したことがあり(ニジンスカ振付、コヴェントガーデン、1999)、入手しうる限りの全曲盤も手許にある。
■ イーゴリ・マルケヴィチ指揮 モンテカルロ歌劇場管弦楽団・合唱団(1972)
■ ジョルジュ・プレートル指揮 フィルハーモニア管弦楽団 ほか(1980)
■ ティエリー・フィッシャー指揮 ウェールズBBCナショナル管弦楽団 ほか(2009)
1924年バレエ・リュス初演から九十年になろうというのに、合唱の入った全曲盤はこの三つしか存在しない(と思う)。なんたることか!
しかも、どれも一長一短あって満足できる演奏はひとつもない。生の舞台だとあんなに愉しめるのに、音だけだとなんだか散漫で退屈。ディスクで聴くなら「牝鹿」は抜粋版の組曲に限る──不遜にも今の今までそう思い込んでいた。
ところがどうだ、 このドネーヴ盤の弾み具合は! 「序曲」の主部が始まった途端、「これだ!」と叫ぶ。淀みのない快速、潑剌としたリズム。続く「ロンドー」のキビキビしたテンポと湧き立つような色彩感。そうそう、「お巫山戯」プーランクはこうぢゃなくちゃね! 名盤の誉れ高いプレートルの組曲盤の衣鉢を継いだ正統的な「牝鹿」演奏が遂に登場したという思いである。
続く合唱入りの部分(「踊る唄 Chanson dansée」)でのコーラスの水準の高さにも改めて感心。プーランクがバレエにわざわざ合唱を導入した工夫がいかに効果的だったか、この演奏を聴いて初めて得心できた。
これは指揮者ドネーヴにとって会心の演奏だろう。この調子で同じ手兵を率いてプーランクを立て続けに録音してほしい。「シンフォニエッタ」や「フランス組曲」、「典型的動物」もさぞかし聴き映えするだろうし、「グローリア」以下の宗教曲も期待できる。オペラもさぞかし素晴らしいことだろう。
それにしても並々ならぬ実力の持ち主である。これまでルーセルの交響曲のCDで感心した覚えはあるが、ここまで完成度の高いプーランクが聴けるとは予想だにしなかった。しかも独逸の楽団相手にである。端倪すべからざるドネーヴ。先日ラヴェルの「スペインの時」実演で彼の指揮を見聞したのだが、そのときは無難な安全運転に徹したのか、ここまでの弾けぶりは露ほどもみられなかったなあ。
(蛇足的追記)
この人の苗字 Denève をば「ドゥネーヴ」と表記する流儀は感心しない。その伝でいくなら Catherine Deneuve も「ドゥヌーヴ」と書かねばなるまいて。
同様に「ドゥミ」や「ドゥルーズ」にも怖気が走る。誰も今更「ドゥラクロワ」「ドゥガ」「ドゥビュッシー」「ボードゥレール」と書きはしない。百年以上の歴史を経た仏蘭西語カナ表記にもっと敬意を払うべきだろう。