いよいよ秋が忍び寄ってきた感が強い。朝の空気が涼しいし、見上げる空の蒼さがいつもと違って抜けるように透明で深い。思わず散歩に出かけたくなるような空だ。でもその前に今朝も鍾愛の仏蘭西近代音楽を。取って置きの一枚がある。
《フォーレ/ペレアスとメリザンド [管弦楽曲集]》
フォーレ:
組曲「ペレアスとメリザンド」(シャルル・ケックラン編)
組曲「ドリー」(アンリ・ラボー編)
組曲「マスクとベルガマスク」
セルジュ・ボード指揮
パリ管弦楽団1969年2、6月、パリ、サル・ヴァグラム
東芝EMI TOCE 9816 (1998)
もういけない。一曲目が始まった途端パヴロフの犬さながらに涎ならぬ感涙がどっとこみ上げる。この常ならぬ美しさはどうだ。
フォーレの組曲「
ペレアスとメリザンド」を知ったのは1969年秋、ジャン・フルネがN響を振った演奏会の実況をTVで視聴したのが端緒だろう。世にかくも端麗で高貴な音楽があるのかと讃嘆した。暫くは上野の文化会館の資料室でミュンシュやアンセルメのLPを試聴して愉しんでいたが、それではもう飽き足らず、矢も楯も堪らずに秋葉原で新譜を買い購めたのだと思う。1970年5月30日と手控帖に記されている。プレートル指揮でパリ管弦楽団の実演を聴いた一か月後のことだ。
フォーレの管弦楽曲アルバムは他に類例があまりない。楽曲自体が乏しいからだ。作品リストを眺めわたしても交響詩のような純然たるオーケストラ曲が見当たらない。専ら劇付随音楽から編曲した組曲──当アルバム所収の三組曲のほか「カリギュラ」「シャイロック」がある──ばかり目につき、あとは名高い小品「パヴァーヌ」がある程度。だからこれはフォーレを通観できる重宝な一枚なのだ。
ボードは1960年代初頭にも「ペレアス」組曲を(パリ管弦楽団の前身である)パリ音楽院管弦楽団と録音していた(Le Chant du Monde)。だから愛着ある曲なのだろうが、正直云ってこの再録音で個性的な解釈は聴かれない。自己主張を捨てて静穏な曲想に身を任せ、淡々と音楽を紡ぎ出すことに専念する。だがそれで良かったのだ。この曲の演奏にはそうした無私の献身こそが必要なのだ。
それにしても設立当初のパリ管弦楽団の雅やかな響きといったら! 半透明の薄衣のような感触でさんざめく弦楽合奏、ニュアンスを秘めて点綴される涼やかな木管群──古き佳き仏蘭西オーケストラの繊細な美質を色濃く留めつつ、高度に洗練されたアンサンブルの官能的な魅惑に立ち眩みしそうだ。このあと歴代の非仏人常任指揮者たち(とりわけ憎むべきGSとDB!)が寄ってたかってぶち壊しにした響きである。永遠に失われた遺産の大きさに言葉を失う。
フォーレはオーケストレーションが苦手だったという。公職の多忙もあってピアノ譜のみ仕上げて管弦楽化は他人任せにする例も多かった。有名なレクイエムも伴奏部は別人の手になるという。本アルバムの三曲でも一応自ら手がけたとされる「
マスクとベルガマスク」が格段に見劣りする。「ペレアス」の成功のかなりの部分が一番弟子ケックランの燻し銀のように底光りするオーケストレーションに起因するのは間違いない(ケックランの名を肝に銘じたもこのLPのお蔭だ)。それに較べ「
ドリー」のラボー編曲は平凡で些か見劣りする。もしもパリ管の水際立った演奏でなかったら退屈してしまうところだろう。
嘆かわしいことに本CDはカヴァー・デザインが拙劣、というかデザインの名にも値しない無残な出来である。なので願わくば最初に出た日本盤LPで架蔵したい。なにしろジャケットのデザインが秀逸。古びた石畳を撮ったアブストラクトな写真を背景に、抱き合う恋人たちを達者な筆致で描いた素描が配されたものだ(挿画・デザイン/竹家鉄平)。初めて目にしたとき美しさに陶然となった。
1970年前後の東芝EMIクラシカル部門は外盤デザインの流用に甘んじず、独自のアルバム・カヴァーを意欲的に製作していた。今はもう知る人も尠なかろうが、音楽を盛るに相応しい器=LPジャケットにデザイナーたちが妍を競っていた時代があったのだ。残念ながらネット上に当該LPの画像は見当たらないので、機会があったら拙著『12インチのギャラリー』の九十四頁を参照されたい。[後日追記/
→これ]
ところでフォーレの管弦楽三曲を集めたアルバムはこのボード盤が最初ではない。これに遡ること十三年、1956年に全く同一曲目のLPが出ていた。
フォーレ:
組曲「ドリー」(アンリ・ラボー編)*
組曲「マスクとベルガマスク」**
組曲「ペレアスとメリザンド」(シャルル・ケックラン編)**
ジョルジュ・ツィピーヌ指揮
オペラ=コミック国立劇場管弦楽団1955年6月4、5日*、12、13日**、パリ、メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ
仏Columbia FCX 463 (1956, LP)
→LPアルバム・カヴァーお察しのとおり、ボード盤は当アルバムのステレオ版リメイクなのだ。
ジョルジュ・ツィピーヌ Georges Tzipine (1907~1987)は同世代のクリュイタンスの蔭に隠れてしまったが、1950年代にはパテ=マルコニ社(仏EMIの前身)の看板指揮者であり、仏蘭西近現代音楽のスペシャリストだった。大半がモノーラル録音だったのが災いしてステレオ時代には忘れ去られ(オランダのファン・オッテルローと似ている)、CD化も殆どなされない不遇な存在である。
このフォーレはその最たるもので、曲目といい演奏水準といい申し分ない内容なのに、半世紀間というもの一度も再発されていない。なんとも嘆かわしい次第、宝の持ち腐れとはこのことだ。ボード盤と比較するとアンサンブルの精度に遜色あるものの、味わいの濃さではむしろ凌駕している。端倪すべからざるツィピーヌ! 附言するならば、当アルバムは当時のパテ=マルコニLPの常として、高名な図案家カッサンドルが美しいアルバム・カヴァーを提供している点も見逃せない。因みに英・米盤も同様のデザインである。
ところがつい最近、待望久しい覆刻CDが登場した。ただし版元は原盤を保有するEMIでもワーナーでもなく、初期LP覆刻を専門とする独立レーベルである。
フォーレ:
バラード*
組曲「ドリー」(アンリ・ラボー編)**
組曲「マスクとベルガマスク」***
組曲「ペレアスとメリザンド」(シャルル・ケックラン編)***
ピアノ/マルグリット・ロン*
アンドレ・クリュイタンス指揮
パリ音楽院管弦楽団*
ジョルジュ・ツィピーヌ指揮
オペラ=コミック国立劇場管弦楽団** ***1950年10月30日、パリ、シャンゼリゼ劇場*
1955年6月4、5日**、12、13日***、パリ、メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ
Forgotten Records fr 328 (2010)
→CDアルバム・カヴァーずばり「忘れられたレコード」、名称こそ英語だが本拠地は仏蘭西である由。所謂「板おこし」覆刻なのだが、よほど状態の良いLPを用いているのか、再生技術になにか秘訣があるのか、良好な音質にちょっと驚かされる。久方ぶりに耳にして、ツィピーヌの優秀な音楽性に改めて舌を巻いた。一見ノンシャランで無造作にみえて随所に情感の閃きがある。緻密さには欠けるが、あえかな憂愁を湛えた馨しい詩情が漂う。誰にも真似のできないフォーレなのだ。