雑誌の発売日が待ち遠しいという体験はこのところ滅多にない。そもそも店頭で雑誌を買う習慣すら遠のいて久しいのだ。だが今日ばかりは違う。朝から気もそぞろ、散歩ついでに駅前の本屋まで赴き、たった一冊だけ入荷した『ジャズ批評』最新号を引ったくるように手にした。
普段なら立ち読みもしないジャズ雑誌をわざわざ買いに走ったのには訳がある。この号に
安田南の特集が組まれているからだ。個性的なジャズ歌手として高い評価を得ながら、1970年代末に忽然と姿を消し、その後の消息を全く聞かない。噂ではすでに世を去ったともいうが、確たる情報は摑めないままだ。
音楽雑誌が安田南を特集するのは初めてではないか。寡聞にして小生の記憶にはない。二か月ほど前、高崎俊夫さんの連載コラム「映画アットランダム」の記事(
→ここ)でこの劃期的な企てを知り、指折り数えて刊行日を待ち侘びていたのである。因みに高崎さんは本特集の企画編集を担当した張本人である。
上に引いた高崎さんの記事にも予告されたように、片岡義男さんが(恐らく初めて)安田南について語っているのがなんといっても本特集の白眉であり、これこそ垂涎のインタヴューだ。周知のとおり片岡さんは1974年から足掛け六年間、FM東京の深夜番組「
気まぐれ飛行船」で安田南と組んでパーソナリティを務めていた。小生のようにジャズクラブに通う習慣のない者にも彼女の存在を知らしめる上で、この番組の存在は大きかった。ラヂオから流れてくる二人のノンシャランな「大人の会話」に聴き惚れた聴取者は小生の世代なら少なくない筈だ。
DJのパートナーに安田南をと思いついたのは片岡さん自身だという。二時間番組を独りで喋るのは重荷なので誰か相方が必要になったが、「
お前、自分で探せと言われても、[...]
安田さんしかいなかった」。すでに黒テントの芝居を観に行って面識はあったので、依頼の手紙を書いたら、南から「
私でよければ、いつでも」と電話で快諾されたそうな。
片岡さんとしては彼女を番組の主役に引き立て、自分は脇で相槌をうつ役どころを想定したそうで、「
南がすべてを仕切って、牛耳っていただければよかった。僕はそれを希望していたんですけど、[彼女は]
ぜったいにやらなかった。[...]
どうも、僕から提案されての仕事だから、僕の番組だからと思ったらしいんですよ。それで律儀に半歩ひいていた」。そうだった、確かにそうだった。饒舌さや自己顕示のまるでない寡黙な二人が控え目に言葉を交わす、もの静かで思慮深い会話がこの番組の持ち味だったのを思い出す。
歌手としての安田南に関しては、彼女はライヴの人だったと前置きした上で、日本語の歌のほうが遙かにいいと言い切る。「
「愛情砂漠」という映画『赤い鳥逃げた?』の主題歌もよかったし、ふつうのスタンダード・ナンバーを歌うジャズ歌手ではなくて、そっちにいったほうがよかったですね」と喝破するあたり、流石に作家は彼女の本質をよく弁えている。「
きちんと誰かがついて方向を決めながら、プロデュースすべきだったんですね。本当は僕がそれをやればよかったんですけどね」とまで述懐する。本当にそうだ、安田南はいかにも未完の大器のまま終わった感が強い。今更それを悔やんでも詮方ないのだが。
・・・といった具合に、片岡さんは淡々と率直に、しかし深い洞察を交えて語る。私的な付き合いは一切なかったそうだが、小説家ならではの鋭敏な観察眼が捉えた安田南像をくっきり浮かび上がらせる。僅か四頁の短さながらこのインタヴューが読めるだけで、本誌を手にした甲斐があるというものだ。
というよりも、ハッキリ申すなら今回の特集の功徳は殆どこれに尽きるのであり、併録された演出家の佐藤信からの聞き書きは甚だ物足りない代物だ。
佐藤は中学校で安田南と同学年だったそうで、云わば幼馴染で昵懇の仲。俳優座養成所でも一緒だったというし、演出家としては自由劇場、黒テント(演劇センター68/70)、更には日劇ミュージックホールでも彼女を役者=歌手として起用した。公私共に彼女と最も親密だった人物だから思い出は多岐にわたるのだが、この聞き書きは如何にも「功労者の懐旧談」の域を出ず、鮮明な安田南が一向に像を結ばない。近すぎ、知りすぎたから却って全体が見えないのか。
聞き手の不勉強にも問題があり、佐藤が彼女のアルバム "Some Feeling" の名を挙げつつ所収曲「舟唄」「舟のうた」の由来をちらと明かすくだりなど、もう一歩踏み込んで詳しく話を聞くべきところだ。なにしろこのLPは恰好いいアルバム・カヴァー(
→これ)とフュージョン・アレンジの装いの下に「林光ソング集」の相貌を隠し持った独自の企てであり、安田南と演劇の深い因縁を証拠だてる問題作だからだ(「舟唄」は自由劇場が上演したオニール『皇帝ジョーンズ』の、「舟のうた」は『おんなごろしあぶらの地獄』の挿入歌。ほかにエレンブルグ『トラストDE』挿入歌も含む)。林光も斎藤憐も鬼籍に入った今、これらの歌の出自を佐藤の口からもっと訊き質しておくべきだった。歌手の特集なのだから、不可欠の姿勢だろう。
ここまでわざと云わずにおいたのだが、本誌の特集は安田南ではなく「日本映画とジャズ」である。その象徴的な存在として安田南と沖山秀子の二人を冒頭に祀り上げたものだ。そもそもここにすべての問題の発端があると云わねばならぬ。資質も芸風もまるで異なる両人を、女優=ジャズ歌手という共通の括りで並置し同列に論ずるというのは如何にも乱暴だし、そこから「日本映画とジャズ」という大テーマに繋げる構成はどう考えても無理があろう。そもそも安田南は(頓挫した『天使の恍惚』出演を除けば)映画界とは殆ど繋がりをもたないのだ。
さらに不可解なのは、安田が只一度だけ日本映画と協働した藤田敏八監督作品『
赤い鳥逃げた?』(1973)挿入歌に関して、上に引いた片岡インタヴュー以外では何も語られないことだ。「赤い鳥逃げた?」(
→これ)や「愛情砂漠」(
→これ)はジャズぢゃないからか。百歩譲ってそうだとしても、あの映画の挿入歌にどうして安田南が起用されたのかは、彼女と映画との数少ない接点を探る上で、避けては通れぬ問いではないだろうか。藤田監督も、主演の原田芳雄も、安田南と同じ俳優座養成所の出身というあたりにヒントがありそうだが、事の次第は未解明である。更に附言するなら、あの映画のスチル写真が(当時は彼女の愛人だった)中平卓馬の撮影になるのも、映画史的に見過ごせない挿話ではある。
以上が安田南を愛惜する者の偽らざる感想だ。「日本映画とジャズ」という未踏のテーマに踏み込んだ意欲は買うが、そこに無理やり彼女を嵌め込んで語ろうとしたのが躓きの石というほかない。どうにも承服できかねる。
それにしてもこの雑誌のアート・ディレクションが安手で杜撰なのには辟易した。ジャズ・ファンはいつもこんな誌面で平気なのか。その点はまあ我慢するとして、肝腎のヒロインである安田南に関して、酷いピンボケ写真二枚しか探し出せない編集部の非礼と怠慢は果たして許されるのだろうか。
(6月27日の追記)
安田南の名で検索してこの記事に辿り着く方が多いようなので、拙ブログで過去に彼女を話題にしたエントリーを挙げておこう。
→鳥を飛ばせ、赤い鳥を!
→一度は聴きたかった安田南
なにぶん六年も前に書いた記事であり、この時点ではまだ彼女が挿入歌を唄ったサントラ盤「赤い鳥逃げた?」とファースト・アルバム "South." の二枚しか架蔵していなかった。だから甚だ心許ない内容であることを予めお断りしておく。むしろ、惜しくも早逝された映画評論家の梅本洋一さんが心を籠めて安田南を追想した以下の寄稿文をこそ改めて推奨すべきかもしれない。
→『SOUTH』安田南
もうひとつ、安田南を「女優」という観点から考察した秀逸なエッセイもある。筆者はこのたびの『ジャズ批評』特集の仕掛人たる高崎俊夫さん。
→安田南 いま、いずこ
この論考そのものは卓見に満ちた示唆的な内容だが、そこから発想されたとおぼしい今回の特集は「映画」という切り口に拘泥する余り、彼女の遺した仕事をきちんと再評価できずに終わった、というのが小生の正直な印象だ。これでは安田南は浮かばれまい。