丸谷才一さんが亡くなられたさうだ。訃報は昨晩遅くに届いた。享年八十七といふから大往生といつても差し支へなささうだが、つひ最近も、昨秋だつたか新作『
持ち重りする薔薇の花』が上梓され、小説嫌ひの小生にしては珍しく、早速手にして拙い感想文までしたゝめた(
→薔薇の花の重さ)。そこに老年の衰へはまるで無く、匂ひやかに味わひ深い文章を堪能するとともに、クヮルテットの微妙な人間関係に迫つた含蓄ある描写に感嘆久しうしたものだ。まだまだ現役作家として活躍なさるだらうと期待してゐた矢先である。だからしみじみ悲しいことだ。
最後に丸谷さんの文章に接したのは、吉田秀和さんが亡くなつた直後、『すばる』誌上に載つた追悼文だつたといふのも今思ふと示唆的である。なんだかひとつの時代の終はりに立ち合つたやうな厳粛な気分を禁じ得ない。
顧みるに丸谷さんの小説のよき読者だつたとは到底いへない小生ではあるが、蘊蓄ある秀逸なエッセーの書き手としての丸谷さんにはずつと親しみを憶えてきた。随筆集は数知れずあり、しかも版元は大抵は文藝春秋、いつも決まつて和田誠さんの装丁・挿絵入りだから、どれがどれやら見分けがつかなくなる。
もしも選ぶならば迷はずにこの一冊だらう。『
低空飛行』(1977)といふ。版元は珍しく新潮社である。以下はそこに収録された一篇についての紹介文。六年前に書いたものを旧仮名遣ひで再録して追悼文に代へたい。
ニハトコといふ植物をご存知だらうか。漢字では接骨木と書く。スヒカズラ科の低木で、春になると淡い黄白色の小さな花をたくさん咲かせる。もつともこれは今しがた調べて得た知識であり、正直なところ、どんな植物なのか皆目わからない。
丸谷才一のエッセイでこの植物について読んだ記憶がある。どうにもうろ覚えなので、せんだつて図書館で調べてみたら、『低空飛行』(新潮社、1977)といふ本にたしかにこんな話が載つてゐた。
遠い昔のこと、一高の英語の先生に変はつた人がゐた。教室で英文和訳をやつてゐて、ちよつと聞き慣れない難しい植物名が出てくると、平気の平左で全部「ニハトコ」と訳して済ませたのださうな。
つまり、こんな具合である。
「翌朝、二人の兵士が眼をさますと、若さといふのはありがたいもので、三日にわたる長途の旅の疲れは、深い眠りによつて完全にいやされてゐた。二人は自分たちが鬱蒼と生ひ茂るニハトコの大森林のなかにゐることに気がついた」
そして三ページくらゐさきへ進むと、今度は、
「彼は彼女にニハトコの花を渡して、あなたの瞳はこのニハトコのやうに美しい青だ、と言つた」
前の「ニハトコ」と後の「ニハトコ」の英語が違ふなんてことには、ちつともこだはらないのである。
著者はさらに続けて、「これがほかの、たとへば『サルスベリ』や『イチヰ』ではうまくゆかない」、「『ニハトコ』といふ判つたやうな判らないやうな名だから万能なのだ」と締めくくる。
ニハトコは英語では「エルダー elder」といふ。辞書を引くと「セイヨウニハトコ」とあるので、日本のニハトコとはちよつと違ふ種類らしいが、やはり春から初夏にかけて白つぽい花を咲かせるさうだ。
1993年に初めてロンドンに行つたとき、たまたま入つたナショナル・ギャラリーのカフェで、メニューに「エルダーフラワー・コーディアル elderflower cordial」とあるので、興味を惹かれ注文してみた。
出てきたのはグラスに入つた透明な液体。ほとんど無色だが、かすかに黄色味を帯びてゐる。飲んでみると、ほのかな甘味と香りがあり、捉へどころのない飲物なのだが、口に含むと懐かしい気持ちがして、不思議に心身が休まる。
elderflower といふからには、これはニハトコの花から抽出したエキスなのだらう。英国ではかなりポピュラーな飲物で、ボトル入りで手に入るよ、と教へてくれた人があつたが、ホテル近くのスーパーでも酒屋でも、セルフリッジ百貨店でも見かけなかつた。探し方が悪かつたのかしらん。
以来、ロンドンへ行くたびに、同じ美術館のカフェで同じ飲物を注文するのが慣はしとなつた。残念なことに、数年前このカフェは大きく様替はりして、elderflower cordial はもうメニューにない。
こんなことを話題にしたのは、今日とあるハーブ・ショップの店先で、偶然この飲物のボトルを目にしたからである。ラベルにはたしかに elderflower cordial と書いてある。
もちろん買つて来ましたとも。これから栓を開けて飲んでみるところ。