そういう訳で今日も早稲田の演劇博物館の図書室に籠って百年前の雑誌群と首っ引き。実は十年前にもざっと一通り調査したことがある。そのときは専ら広尾の都立中央図書館の蔵書に頼った(今はもう叶わない)。なので今回はこちらで更に詳しく再調査を企てた次第。なんとも厄介な作業だが収穫は確かにあった。
知力体力の大半を使い果たして帰宅。あとは昨日からの宿題であるドビュッシーの「
カンマ Khamma」を聴く程度の余力しか残っていない。
"Charles Koechlin: Magicien orchestrateur"
クロード・ドビュッシー(シャルル・ケックラン編):
バレエ音楽「カンマ」
キャサリン・アーナー(シャルル・ケックラン編):
遠い波の上で
ガブリエル・フォーレ(シャルル・ケックラン編):
劇音楽「ペレアスとメリザンド」*
フランツ・シューベルト(シャルル・ケックラン編):
バレエ音楽「さすらい人」**
エマニュエル・シャブリエ(シャルル・ケックラン編):
気紛れなブーレ
ハインツ・ホリガー指揮
シュトゥットガルト南西ドイツ放送交響楽団
ソプラノ/ザラー・ヴェーゲナー*
ピアノ/フロリアン・ヘルシャー**
2010年11月2~5日、シュトゥットガルト、南西ドイツ放送(SWR)スタジオ
2010年11月8日、ジンデルフィンゲン、市会堂(「カンマ」「気紛れなブーレ」)
Hänssler CD 93.286 (2012)
シャルル・ケックランの名を最初に目にしたのは1970年前後だったろうか。そもそもまず編曲家としてその存在を知った。フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」管弦楽編曲が彼の手になるものだったからだ。
ケックランは当時まだ謎の人物だった。なにしろディスクで自作を殆ど耳にできなかった。交響詩「
バンダール=ログ」は辛うじて聴けたものの、それ一曲のみではまるきり不可解。あとは少し後にサクソフォンの小品「
ジーン・ハーロウの墓碑」(美しい佳作)を聴いただけ。要するに作曲家としての実体は霧の彼方だった。
とにかく「
カンマ」を聴こう。再婚以降ずっと手元不如意だったらしいドビュッシーは舞台作品の作曲を無闇と受注した。このバレエ作品もそのひとつで、「サロメ・ダンス」で一世を風靡した米国の女性舞踊家
モード・アランの依頼で作曲に取りかかったものの、作曲家自身は途中で意欲を失い、管弦楽編曲を若きケックランに「丸投げ」したという代物だ。だからドビュッシーのオーケストラ曲のうちでは継子扱いされ、ブーレーズなども一顧だにしない。録音も多くなかろう。
初めて耳にする曲ではないのだが、この演奏は頗る新鮮。まさに今ここで生まれたばかりのヴィヴィッドな音楽だ。舌を巻いてしまうのは、ケックランのオーケストレーションがドビュッシーの手法と酷似していること。しかも、響きや色彩感覚がその時点でのドビュッシーの最新作たる「遊戯」と瓜二つなのだ! 究極のパスティーシュ芸術といおうか。ケックランの手腕の恐ろしい程の練達ぶりにしばし絶句。
(8月26日につづく)