午前中は薄日の射す暖かく長閑な日和だったので、近所の桜並木を観に行ったら、ほんの数輪ながら開花していた。なので千葉海浜界隈でも開花宣言してしまおう。
昼下がりになると予報どおり雲行きが怪しくなり、夕方からは台風さながらの暴風雨に見舞われている。春の嵐というには猛烈すぎる。東京と千葉とを結ぶ在来線はあらかた運転見合わせだという。帰宅できずに立往生している者も少なくないだろう。
窓に叩きつけるような雨音を聞きながら、昨日の続きで、「四季」の音楽を。ヴィヴァルディ以来の伝統で「春」の章から始まるのが常套と化した西洋音楽の伝統に異を唱え、グラズノーフの顰みに倣って「冬」で開始される「もうひとつの四季」を聴こう。こんな曲があるのを知ったのはつい最近のこと。嘘みたいな安価で手にしたものだ。
アンリ・ソーゲ:
交響曲 第二番「寓意」(別名「四季」)
ソプラノ/ジュヌヴィエーヴ・リュシカ
合唱/モスクワ・カペラ
アントニオ・デ・アルメイダ指揮
モスクワ交響楽団
1995年9月、モスクワ、モスフィリム・スタジオ
Marco Polo 8.223464-5 (1996)
アンリ・ソーゲ Henri Sauguet (1901-1989) は気になる存在である。ボルドーに生まれ、正式な音楽教育を受けなかったが早熟な才能を発揮し、二十歳で上京するやシャルル・ケックランの指導を受け、サティに私淑する作曲家集団「アルクイユ楽派」の一員となった。彼の名を知らしめたのは1927年にバレエ・リュスが初演した《
牝猫 La Chatte》だろうか。もっとも評判になったのは透明素材で超近代的装置と衣装を拵えたガボとペヴスネルのほうだったかも知れないが。
長命だった割に人口に膾炙した作品は僅かしかなく、小生が知るのはバレエ《旅芸人 Les Forains》や、ミュッセに基づくオペラ《マリアンヌの気紛れ Les Caprices de Marianne》位だろうか。ほかにルイ・ジューヴェの劇団のために《オンディーヌ》《シャイヨーの狂女》の劇音楽を手掛けたというが寡聞にして耳にしたことがない。
そんな訳でこの第二交響曲(1949)も初めて聴く。「交響曲」とはいうものの、各季節毎に合唱曲の序章と管弦楽曲がペアになって続くという不思議な構成になる。冬から秋まで、更に末尾に「冬の回帰」という部分が付く全五部、演奏に一時間半を要するという大曲だ。大曲ではあるものの、作風は至って堅実、季節の移ろいを達観したように淡々と眺めるといった境地の音楽だ。時折ハッとするほど美しい瞬間もあるがいかにも地味。勿論このディスクが世界初録音の筈である。
こういう知られざるフランス近代音楽を振らせるのに
アントニオ・デ・アルメイダはうってつけの人材だ。その名を初めて知ったのは若き日に録音した「フランス管弦楽秘曲集」と云ったか、フローラン・シュミットの「サロメの悲劇」(当時はまさに秘曲だった)を中心にデュパルク、ショーソンの交響詩を収めたLPでの名演奏(RCA)によってである。ほかに珍しいフランス・オペラをいくつか録音し、あとはカントルーブの歌曲集「オーヴェルニュの歌」の伴奏指揮があった程度だと思う。
それから幾星霜、アルメイダは大した巨匠にもならず既に鬼籍に入ってしまったが、こういうマイナーな場所でひっそりと、しかし良心的に「知られざる」音楽をこつこつ録音し続けたのだから、その業績はやはり偉とするに足る。調べてみると、彼は驚いたことに同レーベルにソーゲの他の交響曲(一、二、四)も録音している。イタリアのマリピエロの交響曲もいろいろ録れていたと思う。少しは評判になったのだろうか。