1970年2月19日木曜日、午後10時10分。わが決定的な七十分間の始まり。
たまたま目にしたBBC制作の一本のTV映画が人生を変えた──大袈裟でもなんでもなく、本当にそうなのだ。病魔に冒され視力と四肢の自由を奪われたひとりの老作曲家。その悲惨を極める日常を、誇り高い孤立を、狷介と毒舌を、栄光と悲惨のすべてをキャメラは余すところなく捉えていた。田舎に住む十七歳の少年はその監督の名を深く胸に刻み込んだ。それから今日まで片時も忘れることはなかった。
このとき観た映画のことは拙著『12インチのギャラリー』最終章で詳しく記した。どうしても書かずにはいられなかったのだ。そこから末尾を引こう。ただし第三段の意に満たぬ修辞をほんの少し改めた。
映画《夏の歌》は1970年2月、「海外秀作シリーズ」の一編としてNHKテレビからも放映された。高校生だった筆者にとって、それはめまいにも似た強烈な体験だった。作曲家ディーリアスの存在も、ケン・ラッセルの名も、何もかも初めて耳にするものばかりだった。
それから17年後の1987年初夏、TV映画ゆえもう二度と観られないものと諦めていた《夏の歌》を、スクリーン上で観る機会が訪れたのである(東京・渋谷で催された「ケン・ラッセル回顧上映」)。
久方ぶりの《夏の歌》は記憶のなかの映像と寸分たがわぬものだった。ただ、不思議なことにかつてのスキャンダラスな気配は影を潜め、その端正な折り目正しい演出にむしろ強く印象づけられたのは何故だろう。
ロビーで見かけたラッセル監督に、思い切って話しかけてみた。《夏の歌》にやっと再会できたこと、これが昔初めて観たラッセル作品であること…。
"Oh, it's my favourite, too." 「私も気に入ってるよ」。監督はそう答えると、ちょっと懐かしそうに微笑んだ。
全くの偶然だが、昨日の「パーシー・グレインジャー音楽祭」のさなか、ああそうだった、グレインジャーの存在を初めて知ったのも《夏の歌》の登場人物としてであった、ケン・ラッセル監督のお蔭なのだと懐かしく回想した。監督が生涯を終える最後の日まで、永く忠実なファンであり続けた自分を誇らしく思う。