(承前)
三十年前の名画座を偲んでいたら昂奮して眠れなくなった。
それだけ青春が遠のいたということか。更に歳を重ねたらもう思い出すことすらできなくなる。そう考えると些細な記憶の断片がひどく愛おしくも感じられる。過去の集積こそが今の自分なのだ。
さて大井町駅を後にして京浜東北線で一路都心を目指す。
おっといけない、快速は停まらないので山手線に乗り換えて
新橋で途中下車。駅近に名画座がある。
新橋文化は今も健在らしい。といってもここに名画座らしい気概や理想主義は無縁(失礼!)、しがないB級洋画専門館だ。専ら外商セールスマンの時間潰しとして重宝されたらしく、その需要故に21世紀にしぶとく生き残ったようだ。ただし入ったのは数回あるかなきか。クリント・イーストウッド主演の娯楽篇二本立《ダーティファイター》《ダーティファイター 燃えよ鉄拳》を観たのと、R・フライシャー監督の凡作《レッドソニア》を観た程度。JR高架下にあるのでひっきりなしに轟音がし、何故かトイレ入口がスクリーン左右にあって(上映中の使用がやたら目立つ)、微かにアンモニア臭が漂うので閉口したことしか憶えていない。
そうそう、因みに隣は成人映画専門の
新橋ロマン。ここでは神代辰巳監督三本立《快楽学園 禁じられた遊び》《少女娼婦 けものみち》《鍵》を観た、と手控帖にある。1980年代末のことだ。
有楽町で降りて程近い銀座二丁目の
並木座。邦画専門の名画座の老舗だが、十年一日の如き名作偏重がどうにも鼻に付き、早くに愛想を尽かした。むしろ
東銀座まで足を延ばす機会が多くなった。ここには三原橋(陸橋)地下に
銀座シネパトス(1と2)、松竹本社の膝元に
銀座ロキシーの二館があった。
今も邦画二本立で気を吐く前者でもいろいろ観ているが、懐かしいのはむしろ後者か。銀座らしく洋画名作二本立で、《ナッシュビル》《レニ―・ブルース》、《アデルの恋の物語》《恋愛日記》、《インテリア》《カリフォルニア・スイート》などを観た。いずれも初見だったから印象に残っている。その後ここは確か「松竹シネサロン」と改名し、松竹の旧作二本立に方向転換したので80年代後半とんと行かなくなった。
そうそう、芋蔓式に記憶を辿ると
東京駅八重洲口近辺にも名画座が数軒あった。
とりわけ
八重洲スター座は記憶の奥底で今も遠く煌めいている。駅前の八重洲通りの左側をほんの一、二分行ったあたり、ビルの地下にあった。洋画二本立だが、番組編成に工夫があり、ヒッチコック《バルカン超特急(婦人失踪)》+トリュフォー《暗くなるまでこの恋を》なんて夢の二本立だったと感心するし、ビリー・ワイルダー監督二本立《ねェ!キスしてよ》《あなただけ今晩は》とか、リチャード・レスター監督二本立《ローマで起った奇妙な出来事》《ロビンとマリアン》とか、ジャック・ニコルソン主演作《さらば冬のかもめ》《ファイブ・イージー・ピーセス》とか、館主の見識の高さを偲ばせる名番組だと思う。タイムマシンで戻って再見したいほどだ。
この話題はキリがない。老人の繰り言めくのでそろそろ真打登場と願おう。
山手線をぐるり一周し
大塚駅を降りて一分。路面電車の線路を横切った向かいに洋画専門の
大塚名画座と邦画専門の
鈴本キネマが寄り添うように佇む。その光景が今も目に浮かぶようだ。
同じ建物内の双子のような二館だが、鈴本キネマには数度しか入らなかった。邦画なら文芸地下で用が足りていたのか、番組編成が性に合わなかったのか。奇妙にもここで初めて観たのは洋画二本立。70年代末ヴィスコンティの俄かブームがあり、隣の大塚名画座での《地獄に堕ちた勇者ども》《ベニスに死す》二本立が満員札止めとなって、急遽こちらでも同番組が組まれたのである。文字どおり立錐の余地のない混雑だった。ほかには大森一樹の《ヒポクラテスたち》を観た位か。
一方の大塚名画座は70年代後半から80年代前半に夢中で通い詰めた。思いつくまま挙げても、ロバート・アルトマン《ボウイ&キーチ》、マーティン・スコシージ《明日に処刑を…》、リチャード・フライシャー《スパイクス・ギャング》、ミロシュ・フォルマン《ラグタイム》、サミュエル・フラー《最前線物語》、ロン・ハワード《スプラッシュ》、ジョゼ・ジョヴァンニ《掘った奪った逃げた》、ジャック・ドワイヨン《小さな赤いビー玉》などなど、傑作・秀作・佳作の枚挙に暇がない。
そうそう、鍾愛の一作ながら滅多にやらないシドニー・ポラック監督《ひとりぼっちの青春》がかかった折、こっそり録音機を持ち込んで音声だけカセットに収めた(!)のも懐かしい思い出である。
ここの二本立の番組編成はまさしく天下無双だった。トリュフォー《隣の女》+レネ《アメリカの伯父さん》、モーシェ・ミズラヒ《これからの人生》(シモーヌ・シニョレ主演の隠れた名品)+トリュフォー《思春期》、カヴァーニ《愛の嵐》+ティント・ブラス《ナチ女秘密警察 SEX親衛隊》(=凄い題だが《サロン・キティ》の短縮版)など、他の館ではまず観られない絶妙な二本立や、《ピンクパンサー3》に第一作《ピンクの豹》、スティーヴ・マックィーンの遺作《トム・ホーン》に旧作《華麗なる賭け》といった具合に、新旧の取り合わせにも妙味があった。
思うに大塚名画座の絶頂期は間違いなく1984年だった。1月下旬にフェリーニ特集《カサノバ》《女の都》(これはまあ普通)があったあと、前年末のアルドリッチ監督の訃報に際し2月に入ると急遽《カリフォルニア・ドールズ》《北国の帝王》の追悼上映が組まれ、その翌週にはルノワール《
ゲームの規則》+アルトマン《
ウエディング》という思いもよらぬ二本立をさらりとやってのける。続けざまに観ると両監督の類縁性は余りにも歴然で目から鱗が落ちる思いだった。
大塚名画座のロビーには来館者用の落書きボードがあった。休憩時そこに「想像もしなかった素晴らしい二本立」と書き込むと、誰かが「すべての映画ファンの夢の実現です」と続きを書いてくれた。小生の知る限りここまで啓発的・刺戟的な番組は他になかった。名画座史上最強の二本立として永く銘記されねばならぬ。
閑話休題。以上がひたすら安い映画ばかり観ながらの山手線一周の旅、もしくは「東京の名画座について私が知っているニ、三の事柄」である。