老境に入って主たる活動の場を指揮台から書斎へと移し、作曲に重きを置くようになった
アンドレ・プレヴィン。実演の機会が少なくなったのはなんとも残念だが、もともとハリウッドで辣腕の編曲・作曲家として鳴らした経歴からすれば当然の道のりかも知れない。そう納得させられたのは、いつだったか、彼の手になる近作オペラ『
欲望という名の電車』(1998)の日本初演を間近に見聞し、その端倪すべからざる作曲手腕を思い知ったときである(調べたら2003年6月の東京室内歌劇場公演、若杉弘さんの指揮だった)。
そのプレヴィンがテネシー・ウィリアムズに続いて
ノエル・カワード原作に拠る二作目の歌劇を作曲中と知らされたのは、2008年10月にたまたま東京で観たカワード劇『私生活』公演(出演/内野聖陽、寺島しのぶ ほか)のパンフレット冊子においてである。そのときの演出家
ジョン・ケアード John Caird が台本を書き下ろした新作オペラ『
逢びき Brief Encounter』が目下進行中とあった。カワード好きの小生の胸が俄かにときめいたのは云うまでもあるまい(その折のレヴューは
→ここ)。
ノエル・カワードのあらゆる作品のなかで最も人口に膾炙したのは『逢びき』(1945)だろう。云わずと知れたメロドラマ映画の秀作である。ただしカワード自身は制作と脚本のみで、監督も出演もしていないので、多くの人々は専らデイヴィッド・リーン監督や主演のシリア・ジョンソン、トレヴァー・ハワードの名とともにこの映画を記憶しているのではないか。そして随所で流されるラフマニノフの第二ピアノ協奏曲のやるせない旋律も、映画の印象と不可分だろう。この協奏曲の現今に至るポピュラリティの何割かは、確実に本作の世界的な大ヒットから齎されたものである。
第二次大戦下の英国で人妻と医師とが偶然の出逢いから惹かれ合い、既婚者同士で密かに逢瀬を重ねるが、分別盛りのふたりは互いの生活を壊す行動には踏み出さず、プラトニックな関係のまま別離を迎える…という、今日から顧みると信じ難いほどに臆病で煮え切らない筋立てである。否、むしろ、だからこそ、この古風で純朴なメロドラマは不滅の生命をもつに到ったといえるかも知れない。
(まだ書きかけ)