心静かにプロコフィエフを聴きながら遙か往時を偲んでいたら、今しがた思いもよらぬ訃報が届いて動転している。
脚本家の
高田純さんが亡くなったのだという。ミクシィ経由で旧友から知らされた。慌ててネットで検索してみると確かにそうだ。「産経ニュース」から引く。
訃報/高田純氏(脚本家、映画評論家)
2011.4.23 20:45
高田純(たかだ・じゅん=脚本家、映画評論家)氏 21日、心不全のため死去、63歳。葬儀・告別式は親族のみで行う。喪主は妻、幸子(さちこ)さん。
慶応大在学中からテレビ番組「巨泉×前武のゲバゲバ90分!」のギャグを考案。主な映画脚本に「恋文」「いつか誰かが殺される」など。
余りにも急なことで言葉を失っている。昨年十月に旧友数名と共に小田原のご自宅に招かれた。自慢のお茶室でお手前を頂戴し、奥様の美味しい手料理をふるまわれつつ、懐旧談と映画談義に花を咲かせたばかりなのである。そのあと同じ月にもう一度、今度は東京駅前の新丸ビルで珈琲をご一緒したのが最後になった。
われわれにとってはTBSアナウンサー
林美雄さんの同志にして伝説のイヴェント「
歌う銀幕スター 夢の狂宴」(1975年1月19日)の構成台本作者として、はたまた《
必殺色仕掛け》から《
ピンクのカーテン》に至る日活ロマンポルノ、
神代辰巳監督作品の《
恋文》(1985)と《
離婚しない女》(1986)、若松孝ニ監督・内田裕也主演の《
餌食》(1979)などの脚本家として誉れ高い人物である。
正式にはクレジットこそされなかったが、薬師丸ひろ子と松田優作が共演した《
探偵物語》(1983)の脚色にも携わったという。ミア・ファロー&トポル共演の不朽の名作《
フォロー・ミー》(1972)を大いに意識しつつ、リスペクトを籠めて書いたが「思うことのすべてをやりきれなかった」とは、高田さんご自身の述懐である。
そのほか映画化には至らなかったが、チンピラたちの暴走し自滅する姿を描いた傑作シナリオ《
六連発愚連隊》の存在は邦画ファンの間では夙に知られていよう。
TVドラマの脚本は数知れず。そのなかでは「オギノ式」の荻野久作博士の生涯を描いた《
法王庁の避妊法》(1989)が個人的には忘れがたい。なにしろ小生も日活撮影所に赴き、ドラマ出演(?)を果たしたからだ。たしか荻野博士役の鹿賀丈史さんが左利きとかで、史実どおり右手で日記(手紙だったか)を書くシーンで博士の手だけの「代役」を仰せつかったのである。「手先となる」とはこのことだ。
三十五年ぶりに昨秋お目にかかった高田さんは物静かな口調と物腰、酸いも甘いも噛み分けた大人(たいじん)の風格。今後のさまざまな映画企画を愉しそうに語っておられた。そのすべてが見果てぬ夢となってしまうとは、どうしても承服できない気持ちである。亨年六十三。いくらなんでも早すぎるよ、純さん。