朝起きて目覚ましを見たら七時近い。飲み残しのフェンティマンズのジンジャー・ビアを口に含んで、枕元の腕時計に手を伸ばしてドキッとする。針が十二時を指したままになっている。
慌てて龍頭を廻したり、軽く振ってみたりするのだが、一向に動き出す気配がない。電池が切れたのか、あるいは連日の寒気に触れて壊れてしまったのか。この時計は美術館を退職する際、展示ガイドスタッフの面々が餞にプレゼントしてくれたものだ。あれから七年が過ぎ、とうとう寿命が尽きてしまったか。
いずれにせよ、これでは用をなさない。旅空の下、万事休す。どこかで新品を安く調達しないと不便このうえない。
七時半になったのでリフトで下階に降り、食堂で朝食。今日も倹約モードで味気ないシリアル&パンの大陸式朝食である。とほほ。
食後の一服を吸いに玄関を出て、やっと明るみを帯びてきた空を仰ぐと、なんと雲ひとつない青空ではないか! そうと知った以上、今日の行き先はケンジントン公園と決まった。折角この街にいるのだもの、公園の散策は欠かせないだろう。
部屋に戻って防寒用のヒートテック下着をしっかり着込んだらいざ出発。
もう歩き馴れた道をトッテナム・コート・ロードまで歩くと、ここは一方通行路で反対方面行きのバスしか来ないことに気づき、慌てて一本裏のガワー・ストリートへ引き返す。しばらく待つと「14」番バスが来たので乗車。
この路線はチャリング・クロス・ロードからシャフツベリー・アヴェニューへ抜け、ウェスト・エンドの劇場街を左右に眺めながらピカデリー・サーカス、グリーン・パークと都心部を突っ切っていく。恰好の倫敦観光ルートである。青天白日のもと、陽光に照らされた街路を二階席から見下ろしていると、なんだか王侯貴族になった気分である。
ハイド・パーク・コーナーを過ぎたバスは俄かに公園から離れ始めたので、慌てて次のナイツブリッジの停留所で下車。広壮な住宅街を少し抜けると
ハイド・パーク脇に出た。そのまま園内に入り、乗馬練習道を横切って西に向けて歩く。まだ雪が至るところに残っている。この季節に来たのは久しぶり(1993年以来か)なのだが、芝生が枯草色でなく、それなりに緑色を保っているのに驚かされる。
しばらく行って車道を横切ると、そこはすでに
ケンジントン・ガーデンズだ。青空を背景にアルバート・メモリアルが黄金色に輝いている。いつ見てもこの記念碑は悪趣味で野暮ったい。まあそこがいかにも英国的なのであるが。
そこから更に園内に歩を進める。雪溶け道はあちこちぬかるんでいて滑りやすいから要注意だ。数分歩くと目指す
サーペンタイン・ギャラリーに到着。
ここは現代美術専門の展示スペースとして名高いが、目下やっている映像インスタレーションにはさしたる関心もないのでチラと覗くにとどめ、屋外展示の案内パンフレットを貰ってすぐに退出した。
受け取った水色のパンフにはこうある。
ANISH KAPOOR
TURNING THE WORLD
UPSIDE DOWN
KENSINGTON GARDENS
そうなのだ、ここサーペンタイン・ギャラリーが勧進元となって、周囲のケンジントン公園の各所に彫刻家
アニッシュ・カプーアが屋外彫刻を仮設する。このパンフに載っている地図を頼りに、これから観て廻ろうという目論見なのである。どうせなら天気の良い日がいい。だから今日という日を選んだのだ。
散在するカプーアの彫刻は全部で四つだという。
それらを観に行く前に、ここケンジントン公園の主、というか、古くからその住人たる
ピーター・パン像にまずは挨拶を済ます。仁義を切るような塩梅である。
その銅像から程近いあたり、サーペンタインの池(ロングウォーターという!)の向こう岸に、大きな銀色のパラボラ・アンテナ状の彫刻が設置されているのが見える。あれが第一の作品。池はこの寒さですっかり凍結し、氷の表面を小鳥たちが歩いている。かなり距離があるのでサイズが実感できないが、パンフに拠ればお椀の直径が優に十メートルはある大作である。"Sky Mirror" という。
そこから池を背にして少し歩くと、第二の作品 "Non Object (Spire)" が芝生から小さく突起するのが見えてくる。近くまで来てみると、これも高さ三メートルほどあり、放物線状に湾曲した断面をもつ円錐といったらよいか。銀色の鏡面に反映するのは空のみ。鑑賞者のわれわれは映し出されない。
更にその先へ進むと、丸い池(ラウンド・ポンドという!)があって、その岸近くに今度は赤い色をしたパラボラが設置される。"Sky Mirror Red" という。直径は約三メートルと小ぶりだが、かなり近くまで接近できるので、細部をしげしげと観察できる。この作品でも鏡面に映し出されるのは空ばかり。人間など眼中にないのだ。
雪道を歩くうち、小生の靴はうっかり犬の糞を踏んづけてしまった。うへえ、参ったなあ。必死で雪に擦り付け、なんとかこそげ落とす。
四番目の作品は公園のかなり南寄り、アルバート・メモリアルに遠からぬあたりの地面に置かれていた。"C-Curve" と題されたこの彫刻はドーナツを半分に切った形を平置きしたようなもの。やはり表面は銀色に鏡面加工してあって、周囲で眺めるわれわれ鑑賞者はここで自分自身の鏡像を正立もしくは倒立した姿で見ることができる。逆立像の場合も、彫刻に接近すればいずれ正立像に切り替わる(カプーア作品の醍醐味のひとつはここに存する)筈なのだが、本作品では遠巻きに眺めることしか許されないので、この現象は起こらない。
ともあれ四つのカプーア作品をしかと見届けた。その幸福な安堵感と、やはり彼の作品とはじかに一対一で対峙したかったという、無いものねだりの思いの両方を抱きながら、サーペンタインの池に沿ってハイド・パークを歩く。そろそろ空腹と喉の渇きを覚えたので、池尻にあるカフェで一息つこうとしたら、その一郭には移動式の遊園地ができていて客がごったがえしているので遠慮した。
そのまま公園をあとにしてハイド・パーク・コーナーのバス停へ。ここから街中に出て昼食でもと目論んだのだが、待てど暮らせどバスはやって来ない。来てもすべてここ止まりで回送になってしまう。今思えばバスのストライキが始まったのだろうが、そうとは気付かずに三十分ほども寒空の下で待ちぼうけを喰らわされた。
いつまで待っても埒があかないので方針を変更、地下鉄のピカデリー・ラインとディストリクト・ラインを乗り継いで
スローン・スクエア駅に向かうことにした。
スローン・スクエアには現代美術の
サーチ・ギャラリーがある。二年半前ここに来たときも訪ねたのだが、折悪しく開館前の改装中だったため、今回こそは展示室を観たいものだと念願していたものだ。
その前に軽くランチをと思うのだが、週末とあって、一時過ぎの今時分どこのカフェも人で溢れている。前回、この街で梅田英喜君と落ち合ったとき入ったイタリアン・カフェも満員。テラス席なら空いているのだが、この寒さでは論外だ。結局ちょっと歩いたところにあった「ポール」でサンドウィッチと珈琲を手早く飲食。
サーチの現代美術コレクションそのものは十年ほど前、まだバウンダリー・ロード(アビー・ロードに程近いあたり)にあった時代に一度目にしたきり(当時の収蔵作品はあらかた手放した由)。その後サウス・バンク界隈に移転したというが、そこでの展示は観ていない。今の場所はなんでもヨーク公爵の旧宅(陸軍関係の施設になっていた)だとかで、堂々たる外観を備えたお屋敷。その内部が現代美術ギャラリーに改装されている。入場無料というのが太っ腹だ。
目下開催中の展覧会は "New Speak: British Art Now" の第二部という。これが地上部分の一階から三階までの広大なスペースを占めている。さして期待もせずに入ったのだが、予想を遙かに下回る低調ぶりに目を覆いたくなる。ざっと三十人ほどの新作を観た勘定になるが、足を停めた作品は皆無。ひとりとして心に残る作家がいないというのは由々しいことだ(むしろ当方の感受性の枯渇が疑われる)。
徒労感に打ちひしがれ、トイレのある地階まで降りると、なんとお懐かしや、そこには部屋一杯にひたひた重油を満たした
リチャード・ウィルソンのインスタレーション『20:50』(1987)が静かに待ち構えていた(
→これ)。
1993年、開館したての水戸芸術館でこの驚くべきインスタレーションに遭遇し、身も心も奪われた(「アナザー・ワールド」展)。部屋には重油が床から一メートル位まで満々と充たされ、鈍いオイル臭が鼻を突く。黒い膜面には波ひとつ立たず、部屋の上半分を天地逆さまに映し出す。埠頭のように重油のなかに突き出した通路を恐る恐る直進していき、突端まで来て身を乗り出すと…。そのとき味わった恐怖を二十年近く経った今も忘れない。上下の区別が曖昧になり、重油のなかに墜落していきそうな自分を見出して総毛立つのである(これは誰しも同じらしい)。
そういう作品なのである。それなのに、嗚呼、それなのに、このギャラリーでは肝腎の通路を立ち入り禁止にしてしまっている。なんということだ。これではデュシャンの遺作の前まで来て、覗き穴を覗かずに帰ってしまうようなものではないか!
腹立たしさ一杯でサーチをあとにする。憤懣やるかたなく「金返せ!」と叫びたいが、もともと無料なので叫ぶわけにもいかない。このままホテルに戻るのも業腹である。スローン・スクエアの停留所でしばし思案。たまたま来た「22」番のバスでピカデリーまで出る。ここで発作的に降車してみた。目の前は
ロイヤル・アカデミー。ここで「お口直し」の展覧会を観ることにする。
(まだ書きかけ)