ホテルのわが部屋は中庭に面していて至って静穏。表を走る車の音も殆ど聞こえない。なのに夜中に起きてしまったのは時差のせいだろう。もう一度ぐっすり眠りに就いて次に目が覚めたらもう朝の五時半。外はまだ真っ暗闇だ。だがもう寝られそうにない。六時になったので部屋の灯を明るくする。
TVを点けるとBBCのニュースでスコットランドの大雪を告げている。どうやら倫敦も雪模様らしい。窓外に何やら舞っているものがある。だが中庭の眺めではどうにも様子がわからない。意を決してベッドから起き出し、顔を洗い髭を剃って冬支度に着替える。まずは表に出てみよう。
リフトでロビーに降り、そのまま玄関の扉を開いて驚いた。
あたり一面の銀世界。数センチだが積雪があり、正面のタヴィストック・スクエアの木立も一夜にして綺麗に雪化粧した。まだ暗い空からはひっきりなしに雪片が舞い降りてくる。なんとも神秘的な眺めだ。だが参ったなあ。
表に出たのはもうひとつ、喫煙のためもある。今や倫敦じゅうのホテル内は完全禁煙となり、煙草が吸えるのは玄関の両脇、指定された吸い殻入れ近辺の僅かな一郭だけである。持参したゴールデンバットに火を灯す。今日も元気だ煙草が美味い。美味いのだが寒くて凍えそうだ。とても二本目は無理と判断した。
すごすご部屋に戻って再びTVと点けるとニュースは降雪の話題でもちきりだ。なんでもロシア方面からドイツ上空を通って寒気団がブリテン島に来襲し、容赦なく雪を降らせているのだという。しかも暫くの間これが続くとか。やれやれ、とんでもない時節に遭遇してしまったものだ。だが一方でわくわくしないでもない。
七時になったので再び地上階に降り、朝食の始まった食堂に足を運ぶ。往時のダンスホールを思わせる大広間に百以上のテーブル席が満遍なく配されるが、開始時刻直後とあってまだ人影はまばら。
係の背の高い老人に尋ねると、貴殿の朝食券は「コンティネンタル」用なので、パンとシリアル、飲み物と食後のフルーツだけだという。ただしあと四・五ポンド追加すれば「
イングリッシュ・ブレックファスト」に変更でき、そうすれば全品目が食べ放題になるぞと云う。昨晩の粗食のせいかひどく空腹を覚えたので、思い切って追加料金を支払い席に着く。倹約を旨とするわが方針はここに脆くも崩れた。
おゝ素晴しき哉、英国風朝食。
カリカリに焼いた
ベーコン、黒ずんでねっとりした独特の
ソーセージ、軽く燻製した
鱈(だと思う)、
目玉焼、
茹で卵、
炒り卵、甘く煮込んだ
大豆、同じく煮込んだ
トマト。オートミールの
ポリッジ粥。これだけの温かい食材がずらり並べられている。
パンは薄切りのをカリカリに焼いた
トースト、それに
ロールパンが二種。
バタか
ジャムを付ける(ジャムはストロベリー、ラズベリー、ブラックカラント、マーマレード、アプリコットの五種)。
シリアルは四、五種類を予め混合してあるもの。牛乳を掛け食する。
飲み物は
オレンジ・ジュース、
林檎ジュース、
ミネラルウォーター、
牛乳。
珈琲と
紅茶はめいめい席でサーヴして貰える。今日は珈琲を所望してみた。
食後のフルーツはシロップ漬の
プルーン、
オレンジ、
グレープフルーツ。
これらが悉く取り放題、食べ放題、飲み放題なのである。腹も膨れるし栄養的にもバランスがとれ、質量共に充分ではなかろうか。少なくとも夕方まで腹もちしそうだ。
ここ数十年というもの朝食を食べつけていない小生には歯止めがない。どのくらい食べればいいのか、基準をもたぬものだから、ついつい大食してしまう。
くちくなった腹をさすりながら一旦わが部屋へ戻り、『
タイムアウト』誌を睨みつつ十日間のスケジュールを最終的に策定する。
勿論まだ日本にいるうちからネット上でいろいろ検索し、主な美術館、劇場の催しはかなりの程度は把握していた。今や出発前にすべてを予約することも可能なのだが、そうすると臨機応変の対応ができず自縄自縛になりかねない。なので12月8日の演奏会以外はまだ切符がとれていない。何もかもこれからなのだ。
云うまでもないことだが美術展は滞在中いつでも観に行ける。オペラやバレエ、演劇ならば連続して、あるいは複数回にわたり上演されるが、演奏会はその一回限りだ。滞在する十日間にこれらをバランスよく按配し重複せぬようにうまく割り振る。
九時を少し回った。ご不浄を済ませ、完全防備の冬支度を整えるといざ出陣だ。幸い夜半からの雪は小止みになってきた。舗道に降り積もった新雪はさくさくだが、じきに踏みしだかれ滑りやすくなるから要注意である。
こんな天候なのでバスは運行が些か覚束ないので今日は地下鉄で移動しよう。
まず最初の行き先は
サドラーズ・ウェルズ座。ダンス公演のメッカながら小生はこの劇場には未だ足を踏み入れる機会がない。ただし場所だけは二年前にエディさん(エドワード・モーガン翁)とご一緒した折(
→「エディさんの旺盛な好奇心」)二階建バスの二階窓から外観をチラと瞥見し、地下鉄の
エンジェル駅から至近距離であると教えられた。そのエンジェル駅から今日は歩こうというのだ。
サドラーズ・ウェルズ座では
プロコフィエフのバレエ『
シンデレラ』の連続興行がある。高名な
マシュー・ボーン振付による新解釈の演出だという。実は今日30日がその公演初日なのである。ただし混み合う初日を選ぶのは得策でないので(売切の可能性もある)、熟考の末12月5日(日)のマチネ公演が好都合と判断した。勿論その回のチケットがまだ残っていれば、の話であるが。花形振付家ボーンの新演出とあって、この『シンデレラ』の話題性はさぞ高かろうから、ひょっとして全日完売の懼れだってある。今回の滞在ではもうひとつ、コヴェントガーデンのロイヤル・バレエ版の『シンデレラ』も是非とも観たいのだが、運悪く二日ある上演のいずれもが早々と完売になってしまっている。なのでこちらの『シンデレラ』のほうも入手が危ぶまれる。到着早々いそいそと切符を買いに出向くのはそういう訳なのだ。
おっと危ない。考えごとをしながら雪道を歩くのは禁物だ。ホテルから至近の地下鉄ラッセル・スクエア駅まで三分間の道のりでもう二度も滑りそうになった。ここで骨折でもしたらそれこそ元も子もなくなる。
ピカデリー・ラインが動いていることをまず確認。ジュビリー・ライン以外は平常運行、と窓口の掲示にあった。馴れた手つき(を装ってだが)でオイスター・カードをかざして改札を通過。そこからリフトで降りて北東方面行き(ヒースローとは反対方向)の列車に乗る。次のキングズ・クロス=セント・パンクラス駅でノーザン・ラインに乗り換えると一駅目が目指すエンジェル駅。ホテルから歩いても行けそうな近さなのだ。
地上に出ると息を呑む美しさだ。エンジェル駅の周辺はなんの変哲もない平凡な市街地なのだが、一夜の雪に覆われて白一色の別世界に様変わり。降雪はすっかり止んだようだが、通りはひっそり閑、人影は殆どない。
いかんいかん、景色に見とれてはならじ。滑らぬよう足もとに注意しながらそろりそろり、膝を少し曲げ気味に歩く。転んだときの用心のため両手には荷物を持たず常にフリーにしておく。
劇場までの道筋はしごく簡単。表通りを暫く進み、バス路線に沿って右折するとやがて現代的な建物が右方に見えた。間違いない、サドラーズ・ウェルズ座だ。創建は17世紀まで遡るという倫敦きっての老舗劇場だが、十二年前に改築されて現在の瀟洒な建築になった。建物には今しも大きな運搬車両が横付けされ、ロビーでは職員が忙しく動き回っている。今夕の『シンデレラ』初日に向けた準備であろう。
時計を見ると既に十時を少し回っている。ボックスオフィスも開いた頃合なので早速12月5日のマチネ公演の切符の有無を尋ねてみたら、大丈夫まだ少しあるという。出来るだけ良席を、と所望するとストール(平土間席)の「Nの7」をよこした。前から十三列目、ちょっと右寄りだがまあ悪くはない。宜しい、これに決めた。
懸案が解決してほっと安堵。そのままエンジェル駅まで戻ってもいいのだが、どうやら雪も止んだようだし、ふと隣のキングズ・クロス=セント・パンクラス駅まで歩いてみようという気になった。実はその道すがら、ここからほど近い場所で注目すべき展覧会をやっている。目指す
ブリタニア・ストリートを地図で確認すると、歩いて十数分で行けそうだ。今日の足場の悪さを考えても二十分はかかるまい。大まかな道筋を頭に入れ、その方角とおぼしい裏路地へと歩を進める。
典型的な閑静な住宅街を抜けると、些かうらぶれた小汚い界隈へと続くが、すべては降り積もった雪で浄化され夢うつつのように美しい。足元に細心の注意を払いながらゆるゆると進む。坂道ではちょっと油断すると滑りそうだ。
途中どうも道を間違えたようだが、地図を見ながら行くとほどなく目指す街区に行き当たった。6-24 Britannia Street ──明らかに倉庫だったとわかる無愛想な三階建の大きな建物。これだ、硝子扉に GAGOSIAN GALLERY とある。倫敦に二軒あるガゴシアン画廊のひとつで
ジェイムズ・タレルの個展が十月から開催されている。12月10日までというので小生はぎりぎり会期に間に合ったことになる。
タレルの個展に接するのはずいぶん久しぶりだ。世田谷と浦和で回顧展を観て以来か、ひょっとして旅先でたまたま遭遇したパリでの展示(Galerie Almine Rech)が最後だったかもしれない。十年ぶりくらいか。
恐る恐る扉を開けると、いきなり彼のライフワークたるローデン・クレーター(アリゾナ砂漠の巨大な死火山の噴火口そのものを作品化する)のプロジェクトの模型や地図類が展示されている。係員の解説が始まっていたが、ここは遠慮することにして次の "Sustaining Light"(2007)から鑑賞。壁に縦に長い矩形の開口部(?)があり、そこが微妙な色光を発している。どうやら二色の光のブレンドのようで、暫く眺めると色が青、黄緑、オレンジ、ピンク…と緩やかに変化してゆき、そうなるともう目が離せなくなる。この魔法のような呪縛力こそタレルの本領であろう。一見しただけではわからないのだが、壁にあるのはどうやら開口部ではなく半透明な硝子板で、そこにコンピューター制御のネオン光が背後から投影されているらしい。
続く "Bindu Shards"(2010)なる新作は球形のタンクに鑑賞者が単身で入り込むタイプの作品。90年代の 《ガス・ワークス》 そっくりの外観、その延長線上の仕事とおぼしいが、予約制なので体験は叶わない。係員二名がレントゲン技師のような白衣を着ているのも、かつて水戸で観た 《ガス・ワークス》 と同じ趣向だ。
ここを通り過ぎ隣室へ進もうとして別の係員に制止される。次の作品を観たければ暫く待てという。部屋のなかに入って体験するのだが、入室はひとり五分間、同時に五名までと限定されている。前室で靴を脱がされ、靴下にも覆いカヴァーをかけさせられる。この厳重な物々しさもタレル鑑賞につきものだ。
くだんの最新作は "Dhātu"(2010)と題され、前室で待たされてる間も、神殿のような階段を上がったところにある出入口から内部の光が千変万化するさまが嫌でも目に入ってしまう。既にして鑑賞体験は始まっているのだ(
→これ)。
順番待ちの先客が数人いたので十数分待ったろうか、部屋からひとり退出したのと入れ替わりに係員の合図とともに階段を昇っていよいよ入室である。
部屋に入ると内部は思いのほか広く、小さな映画館位はあろうかという空間である。だがそこに一歩でも足を踏み入れると、前室から覗き込んだときには予想もできなかった強い情動がこみ上げる。非日常に属する神秘的な光を全身に浴びながら、広大無辺な宇宙空間にいきなり放り出されたような、至福とも恐怖感ともつかぬ一種のトランス状態に直ちに捉われる。とても冷静でいられない(
→これ)。
正面には四隅を丸くした矩形の開口部があり、そこから強い光が絶えず変化しつつ漏れ出ている。部屋そのものは純白で四角い箱状をなすが、天井と壁、壁と床の接合部はやはり丸みを帯びた曲面をなしていて、正確な広さを把握することが困難である。全体にぼんやりと霧のような光が漂っていて、最初それは正面からの光の照り返しかとも思えるのだが実はそうではなく、反対側、すなわち入口側の壁に仕込まれた光源から来るものであるらしい。つまり部屋のなかでは反対方向から来る二種の色光が精妙に入り混じり、重層し交錯する場として設えられている(
→これ)。そこに居合わせた五人の鑑賞者はこの世ならぬ光の圧倒的な横溢に包み込まれ、刻一刻と表情を変えゆくさまにただ茫然と見惚れるばかりである(
→これ)。
いやはや凄いものを観てしまった。熱に浮かされたように画廊を出て倫敦の雪道を再び歩き始めたのだが、半ば恍惚となっていて正直どこをどう歩いたか、とんと記憶にない。気がつくとセント・パンクラスの巨大な駅舎の真ん前にいた。外気が刺すように冷たく感じられ、俄かに強烈な尿意を覚える。どこかカフェに入ろうかとして、ここから程近い場所に
大英図書館 The British Library があることに思い至る。あそこへ行こう。カフェもトイレもあるし、なによりも、倫敦随一の素敵な書店が店を構えているのだ(前回の訪問記は
→ここ)。
足早に図書館のトイレで用を足すと、催事の告知が目に入る。"Evolving English: One Language, Many Voices" という無料の展覧会をやっているので好奇心をそそられ、ちょっと覗いてみた。
これは千年余りに及ぶ「英語」の発展・変遷・伝播の歴史をこの図書館の豊富な蔵書・収蔵品を通して通観するもの。紀元1000年頃に筆写された『ベーオウルフ』の古写本断片に始まり、アングロサクソン年代記の11世紀の写本、英国初の活字本だというカクストン版『トロイア戦記』、『カンタベリー物語』やシェクスピアの初版本、ジェイムズ一世の欽定訳聖書、スウィフトの政治パンフレットといった英国文学史・英語史上に名だたる「お宝」が惜しげもなく開陳される。大英図書館ならではの贅沢極まりない展示である。
感心させられるのは展示手法の素晴らしさだ。展示室全体を暗くし、展示物には必要最低限の照明を施す。解説キャプションは黒地に白文字でくっきり。個々の書物は決して平置きせず、ほどよく前傾するよう調整し、支えのアクリル器具で適切な角度に開かれた形にする(
→これ)。たったこれだけの工夫なのであるが、それぞれの書物の実在感がいかにまざまざと浮かび上がることか。硝子越しであることを忘れさせる秀逸な展示だ。
暗く塗られた周囲の壁の高い位置には時おり解説文やキーワードが投影されて鑑賞を導き手助けする(
→これ、
→これ)。個々の書物を眺めているときは全く視界に入らず、邪魔にならないよう配慮されているのが嬉しい。
文学史上に名だたる作品ばかりでなく、19世紀に倫敦の街頭に掲出された貼紙広告(日本の旅芸人の興行ポスターもあった。これらは適切にも壁面展示されている)や、植民地で生まれ自己流に改変された「ピジン・イングリッシュ」の文献、各時代の俗語辞典の類いが並べられているのも興味深い。英語は世界中にくまなく伝播し、民衆の間で用いられた実用的なコミュニケーションの道具でもあったのだ。
個人的に最も目を惹かれたのは、
バーナード・ショーの戯曲『
ピグメイリオン』(1913)の手沢書き込み本。上演に際してショーがライザ(=イライザ)のコックニー訛りにあちこち朱筆を入れ、入念に手直ししていることがわかる面白い記録である。こんなものが間近に観られるなんて!
そのほかディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』、ルイス・キャロルの『アリス』、英語の可能性を拡張したe・e・カミングズやD・H・ローレンスらの初版本も展示されていて興趣が尽きないところだが、観ているこちらの容量がそろそろ満タンになってきた。もう一杯一杯、これでは身がもたない。
すっかり打ちのめされて隣接する書店によろよろ歩を進める。ここも「ちょっと見るだけ」のつもりが、思いがけない美本のあれこれについつい手が伸びてしまう。「本についての本」がこれほど潤沢に並んでいる場所がほかにあろうか。こみ上げる購買欲を必死になって押しとどめる。
上記の展覧会カタログは今ひとつエディトリアル・デザインが冴えないので購入を控えたのだが(代わりに『ピグメイリオン』手沢本の絵葉書を買った)、
カレル・タイゲのアルファベット本 "Abeceda(アベツェダ)" の複製本や、
マヤコフスキーの自作ポスターや絵本などをまとめたアンソロジー本(ともに Redstone なる版元から出たもの)、さらには
パフィン・ブックスの表紙百点を絵葉書にして美麗な箱に収めた "Postcard from Puffin" といった魅惑的なアイテムにはどうにも抗する術を知らない。倹約旅行の大原則は脆くも崩れた。
(次エントリーに続く)