1941年6月、ウクライナの長閑な村では学期が終了し、夏休みが始まろうとしていた。集団農場の五人の若者が和気藹々とキエフの町を目指して徒歩旅行に出発する。だが彼らの旅はドイツ軍の突然の空爆であえなく妨げられる。ナチス・ドイツがソ連に宣戦を布告したのだ。村が攻撃に晒されると、若者たちはゲリラ隊を結成し森へ逃れた。残った村人は家を焼き払い抵抗を試みるが、あえなく占領されてしまう。侵攻してきたドイツ軍はここに野戦病院を設営し、傷病兵への輸血用の血液を賄うため、非道にも村の子供から強制的に採血し死なせてしまう。密かに武器を手に入れたゲリラたちは、村を取り戻すべく決死の覚悟で敵陣に奇襲突撃を仕かける…。
独ソ戦が開始されるや、スターリンの厳命により急遽モスフィルムのスタジオで撮影が開始されたソ連映画の粗筋である──といいたいところだが、あに図らんや、なんとこれは戦時中のハリウッドで製作された正真正銘のアメリカ映画なのだ。
北極星
The North Star
1943年
アメリカ映画
製作/サミュエル・ゴールドウィン、ウィリアム・キャメロン・メンジーズ
監督/ルイス・マイルストン
原作・脚本/リリアン・ヘルマン
撮影/ジェイムズ・ウォン・ハウ
音楽/エロン・コープランド
作詞/アイラ・ガーシュウィン
出演/
アン・バクスター、ダナ・アンドルーズ、ウォルター・ヒューストン、ウォルター・ブレナン、ファーリー・グレンジャー、エーリヒ・フォン・シュトロハイム ほかこの映画を以前からずっと気にかけていた。いつか観てみたいものだと密かに希ってきたものだ。初めて存在を知ったのは Bernard F. Dick という映画史家の執筆した『
ハリウッドのヘルマン Hellman in Hollywood』(1982)なる研究書。恋人ダシール・ハメットに誘われて、
リリアン・ヘルマンがハリウッドのゴールドウィン・スタジオでシナリオ稼業に励んでいた時代を詳しく調べ上げた好著である。
戦後の冷戦時代からみると嘘のようだが、米国では1930年代から戦中にかけて知識人の多くが社会主義の同調者であり、軍事的にもソ連とは同盟関係にあったところから、戦時下の国策に沿う形でロシア民衆の「英雄的」闘いを称えるプロパガンダ映画がハリウッドで撮られることになったという次第。
ルビッチュの『生きるべきか死ぬべきか』(1942)やフリッツ・ラングの『死刑執行人もまた死す』(1943)、ジャン・ルノワールの『この土地は私のもの』(1943)などの反ファシズム映画が矢継ぎ早に撮られた時代でもある。
ウォルター・ヒューストン、ウォルター・ブレナンら、どうにも米国人にしか見えない連中がウクライナの村人に扮し、ダナ・アンドルーズやファーリー・グレンジャーが集団農場の若者を演ずるのだから、居心地の悪さが終始つき纏う。しかもマイルストン監督の演出はいかにも鈍重に弛んでいて、農民らが楽しげに歌い踊る冒頭シーンなど30年代のソ連製ミュージカルさながらの垢抜かない野暮ったさ。言い忘れたが、題名の「
北極星 The North Star」は舞台となったウクライナのコルホーズの名(もちろん架空の)である。"Полярна зірка" とでもいったところか。
この映画の企画にはローズヴェルト大統領の側近ハリー・ホプキンズ(ニュー・ディール政策の推進役でWPAの総責任者)が一枚噛んでいたという。
リリアン・ヘルマンの回想録『
未完の女 An Unfinished Woman』(1969/稲葉明雄、本間千枝子訳、平凡社)に拠れば、最初はまずソ連側の協力を得て、現地スタッフ、キャストとの協働により反ナチスの戦争映画を撮るという構想で、監督には
ウィリアム・ワイラー、撮影には
グレッグ・トーランドが予定されていたものという。吃驚するような話ではないか。
ワイラーとわたしはその映画をつくるのに夢中になった。ゴールドウィンもそのために、わたしたちと相談しようと東部まで飛んできた。それから、有名なカメラマンのグレッグ・トーランドも、いっしょに来ることを承諾していた。ワイラーとわたしは、すでにわたしの知己でもあり、好意をもっていたリトヴィノフ大使に面会するために、ワシントンに行った。だが、リトヴィノフの見るところでは、われわれの計画は不可能だった。ロシア政府の全面的協力なくして実現することではなく、それには現在、政府はもう切端つまっているので、協力できないというのである。[…]
ところが翌日の午後、リトヴィノフからわたしに、すぐ大使館へ来るようにとの電話があった。モロトフが、その朝ワシントンに到着したのである。リトヴィノフがわたしたちの映画の話を伝えたところ、驚いたことにモロトフは、それはすぐれた思いつきだから、ロシア政府は爆撃機、撮影隊、その他わたしたちが必要とするいっさいのものを、必要な期間だけ使わせることを保証するといったという。ヘルマンの回想には粉飾が多く、「
彼女の書くものは and や the まですべて嘘っぱち」というメアリー・マッカーシーの辛辣な評言を引くまでもなく、そのまま鵜呑みにできないのだが、上述のディックの研究書でも同じ経緯が紹介されている。
ワイラーとヘルマンは既にゴールドウィンのもとで『
この三人』(1936/彼女の戯曲『子供の時間』の翻案)、『
デッド・エンド』(1937/シドニー・キングズリー原作)、『
偽りの花園』(1941/戯曲『子狐たち』の映画化)をものしており、トーランドはそれらの撮影監督だったから、同じ三者による次なる傑作が期待されたのだが、交渉に手間取るうちワイラーは米軍に徴用されてしまって計画は頓挫し、結局『西部戦線異状なし』のマイルストン監督が率いる別のスタッフのもと、ハリウッドで純然たるアメリカ映画として製作されることになった成り行きをもつ。
こうして米ソ合作映画の夢はあえなく潰え、その代わり出現したのはアメリカの俳優が英語でしゃべるウクライナの集団農場についての大味な物語である。ヘルマンはマイルストンの演出方針やシナリオ改変に業を煮やし、遂にゴールドウィンとも決裂、契約を破棄してスタジオを去ってしまった。再び彼女の回想から引こう。
もっとも、ゴールドウィンとわたしとは、ワシントンも背後のほうで、ロシアで撮る映画についての話し合いをつづけていた。そして最終的にこぎつけた解決策は、すんなりいけば常識的なものになりうるはずであった。つまり、調査のゆきとどいた簡単なセミ・ドキュメンタリー映画を、ハリウッドで撮ることになったのである。わたしは昨年、あらためて『北極星』のために自分が書いたシナリオを読んでみた。この映画は、大時代的かつセンチメンタルで、監督も俳優もお粗末な、ひどい作品になるかわりに、すぐれた映画になりえたはずである。撮影がなかばまできたとき、ゴールドウィンとわたしは手を切った。「
監督も俳優もお粗末な、ひどい作品」とは随分な貶しようであるが、実見してみると確かにそう言われても仕方のない出来だ。もっともスタッフは豪勢そのもの。監督のマイルストン、シナリオのヘルマンに加え、撮影には名手
ジェイムズ・ウォン・ハウ(『いちごブロンド』『ヤンキー・ドゥードル・ダンディ』『死刑執行人もまた死す』)を充て、音楽に
エロン・コープランド、挿入歌の作詞に
アイラ・ガーシュウィンを起用するという念の入れよう。
キャストにしても、村医者に
ウォルター・ヒューストン、その敵役でナチスの軍医に
エーリヒ・フォン・シュトロハイム(!)をそれぞれ配した盤石の布陣だ。だが結果は惨憺たるもの。船頭多くして…の譬えどおりだ。
マイルストンはロシア(ウクライナに隣接するモルドヴァ)出身なのだから、ウクライナを舞台とする映画にはうってつけの監督だったはずなのだが、上面を撫でるような風俗描写に終始していて失望させられる。終盤の戦闘場面はまあマシなのだけれど。
映画『北極星』を巡る不幸な成り行きについてはA・スコット・バーグの著した浩瀚なゴールドウィン評伝『
虹を摑んだ男 サミュエル・ゴールドウィン』(吉田利子訳、文藝春秋)にも、ほぼ同じ顛末がより詳細に記されている。
マイルストン監督はヘルマンに何度もシナリオ改変を要求し、ナチスの悪逆非道を強調すべく残忍な軍医を登場させたのも、若者たちが戦闘で盲目になったり不具になったりするのも、監督からの要請なのだという。ここでは同書に引用された当時の『ザ・ネイション』誌に載ったという、この映画についてのジェイムズ・エイジーの辛口批評を孫引きさせていただこう。
リリアン・ヘルマンの基本的な構想どおりなら、いい映画になったかもしれない。だが人物は陳腐で台詞はお粗末、人間も村もやたらにこぎれいに磨きあげられ「美化」されている。キャメラ・ワークはけばけばしく、つくりすぎが目立つ。ご自慢の複雑なアクション・シーンもトレーニングのしすぎで生彩がない。アーロン・コープランドのせっかくの名曲もお飾りに堕した映画を飾るのには役だたなかった。スクリーンでロマンスを描くのにふさわしい才能や材料もすべて、要するにロマンティックな心とは何の関係もないものの口あたりをよくするために利用するだけで終わっている。全くもってそのとおりの映画だ。そのことが確かめられただけでも、このたび発売されたDVDの価値は小さくないのである。三千八百円はちょっと高かったが。