(承前)
そのあとの道のりは些か単調だった。またもや無味乾燥な第一京浜をひたすら南西に向かって歩く。少し翳ってきたからいいものの、これが炎天下だったらさぞかし辛かったことだろう。真夏でなくてよかった。
入江川という小さな川を越えたあたりで大通りを離れて裏手の運河沿いの道を選ぶ。すでに鶴見区を離れ神奈川区に入ったので、先導役のN君にも土地勘がある。歩き馴れていて裏道まで熟知しているから針路に迷いがない。
この界隈は古くは漁村だったと思われ、今でも小さな漁船や屋形船がずらり繋留され、古びた艇庫や倉庫や町工場が軒を連ねている。ここらも閑散として人影もまばらである。
浦島町という風雅な町名であるらしい。
先程は水分補給のつもりで麦酒を飲んだのだが、むしろ逆効果だったようで発汗作用が促進されて、またぞろ喉が渇いてくる。でも泣きごとは口にせず黙々と歩みを進めるほかない。このまま終着地点の中華街まで歩くのかと思うとさすがにへこたれる。いよいよ陽が傾いてきた。
実は終着点の中華街では四時に仲間のM君と合流する手筈になっている。このまま徒歩で行くと到底その時刻には辿りつけない。電車で行くか、水上バスで行くか。
線路からはだいぶ離れているので現在地が摑めないのだが、恐らく東神奈川駅を過ぎたあたりだろうか、周囲の景色が俄かに一変した。
この一帯は
横浜ポートサイド地区と呼ぶ由。もともと古い工場や倉庫があった界隈だったが今世紀に入って急速に再開発が進んだ一郭だという。なんともはや、林立するマンション群や商業施設を見上げて呆然とするばかり。綺麗に整備された、といえば褒め言葉だろうが、整備されすぎてなんだか人を寄せ付けぬ街区にみえるのは昨今の再開発事業の通弊だろう。住み心地は如何ばかりだろうか。
瞠った目と開いた口とが塞がらないまま暫く歩くと賑やかなショッピングモールに出た。つい数分前まで寂れた漁師町を歩いてきたわれらにはとても現実の光景とは思えない。織るような雑踏をかき分けて進むと視野が開けて水辺のデッキに出た。ここから
シーバスが出るのだという。
小生と家人は初めてなのだが、他の面々は前回の散歩ツアーで既にシーバスを体験済み。船着場には列ができていたが、みなとみらい21街区や赤煉瓦倉庫に寄る便だというのでこれはやり過ごし、次の山下公園への直行便を待つことにする。
めいめい乗船券七百円也を握りしめ船着場で待機。そごうデパートのすぐ裏手にあたる場所だ。横浜駅のすぐ傍まで海が迫っていたとは今の今まで知らなんだ。待つこと約十分で次のシーバスが接岸されいよいよ乗船。
船体にはくっきり "SEA BASS" と記されている。そういえば手許のチラシや看板もみな Sea Bass だ。「ええっ、Sea Bus ぢゃないのか?」「愚かなスペルミスだろう」と衆議一決したのだが、あとで調べたらこれでいいのだという。Sea Bass すなわち鱸(スズキ)であり、
海水・淡水を自由に行き来できることを意味するのだという。知らなかったなあ。ちょっとこじつけっぽいが、まあいいだろう。
すでに乗船経験のある皆のアドヴァイスで全員残らず船尾に席を取る。ここだけは吹き晒しで屋根はあるが窓がなく、じかに海風を受けることができる。定刻どおり出航。心躍る瞬間だ。規則的なエンジン音が体に心地よい。
ほどなく左舷前方に横浜ベイブリッジが見えたかと思ったら、右舷側にはみなととみらい21の建物群が間近に迫ってきた。見馴れたランドマークタワーもパシフィコ横浜も海上からの眺めはまた格別である。夕暮れ迫る空がこよなく美しい。やがて海上保安部の大型船や赤煉瓦倉庫、そして大桟橋埠頭の展望台が次々に姿を現す。ほどなく船は大きく右方へ舵を切り、速度を緩めたかと思ったら右舷側に氷川丸が大きく見え、終点の山下公園に到着。約二十分間の船旅であった。
海風に当たってすっかり元気を取り戻した一行はそこからは急に足早になる。現金なものだ。マリンタワーのすぐ脇をすり抜けて一路目指すは
中華街だ。
目的地は勧進元N君が前から贔屓にしている
龍華樓という広東料理の店。
先着する筈のM君は結局われわれより少し遅れてのご入来と相成った。十一人全員が揃ってまずは紹興酒と麦酒で乾杯。万歩計に拠れば今回の横浜散歩は三万歩は下らない。少なく見積もっても十キロは歩いたことになろうか。酒が旨い。
(まだ書きかけ)