別室の書庫で探しものついでにCDの山を積み直したら、なんと昨日ここで採り上げた
ミーシャ・ブリュッガーゴズマンのデビュー盤とおぼしい旧作が出てきた。こんなものが手許にあったのをすっかり失念していた。
"So much to tell -- Copland, Barber, Gershwin"
エロン・コ-プランド:
エミリー・ディキンソンの八つの詩
サミュエル・バーバー:
ノックスヴィル、1915年夏*
弦楽セレナード
ジョージ・ガーシュウィン(エイドリアン・ウィリアムズ編):
エンブレイサブル・ユー
バイ・シュトラウス
アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー
ソプラノ/ミーシャ・ブリュッガーゴズマン
ロイ・グッドマン指揮 マニトバ室内管弦楽団
2002年4月27日*、2004年1月7、8日、
ウィニペグ、セント・マシューズ・アングリカン・チャーチ
CBC SMCD 5234 (2004)
ミーシャ芳紀二十四~六歳の録音。にもかかわらず堂々たる歌唱である。古楽器による史上初のベートーヴェン交響曲全集録音を指揮したロイ・グッドマンがこんなところでタクトを取っているのがなんとも意外である。
晦渋なディキンソン詩に至って平明な音楽をつけたコープランドがなかなかの名演だ。バーバーも感情を籠めた歌いっぷりだが、この曲には表情過多は禁物、遠く少年(少女)時代を偲ぶような醒めた懐旧の情が必要なのではないか。いつか聴いたドーン・アップショーのCDには確かにそれがあったと思う。
ガーシュウィン三曲にはあらずもがなの華美な編曲がなされていて甚だしく興醒め。
というわけで本盤が堆い山の下に埋もれたのには相応の訳があった次第。
もう一枚、北欧歌手がキャバレー・ソングばかり唄ったディスクも棚の奥から発掘。
"Cabaret Songs"
ウィリアム・ボルコム: キャバレー・ソング集 より
ピアノに乗せて
毛皮(毛皮職人マリー)
彼は給仕にチップをやった
待ってる
ブラック・マックスの歌
アモール
生きるべき場所
歯磨き時間
サプライズ!
役者
さあカーテンを閉めて
ジョージ
クルト・ワイル:
ナンナの歌
ユーカリ
セーヌ哀歌
君を愛しちゃいない
フリードリヒ・ホレンダー:
一度だけあなたのカルメンにして
ブロンド女にはご用心
頭から爪先までぞっこん(フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン)
盗み癖のある女
ベンジャミン・ブリテン: キャバレー・ソング
愛の真実を教えて
葬儀のブルーズ
ジョニー
カリプソ
メゾソプラノ/マレーナ・エルンマン
ピアノ/ベンクト=オーケ・ルンディン
2000年10、11月、スウェーデン、ダンデリュッド、ギュムナジウム
BIS BIS-CD-1154 (2001)
1970年スウェーデン生まれの
マレーナ・エルンマンは今やウィーン、アムステルダム、ブリュッセル、バルセロナと欧州各地の歌劇場にて主役クラスで活躍している由。このキャバレー・ソング集は彼女のデビュー盤らしい。時に芳紀三十歳。
久しぶりに取り出して聴いてみたらこれが出色の出来。どれもこれも素晴しいのだが、とりわけボルコムとホレンダーにうっとりと聴き惚れた。
そうであった。今ふと思い出したのだが、このディスクについては発売されてすぐ新譜紹介を兼ねて雑誌に記事を書いたことがあった。
●マレーナ・エルンマン/キャバレー・ソング集
~ボルコム、ヴァイル、ホレンダー、ブリテン
19世紀末のパリのキャバレー、1920年代のベルリンのカバレット。ライヴハウスのはしりともいうべきそれらの店から生まれた痛烈な、哀切な、皮肉たっぷりな唄を「キャバレー・ソング」と呼ぶのだが、実のところこれは定義づけの難しいジャンルであり、芸術歌曲と流行歌の間に広がる曖昧な領域を指すことが多い。
このCDにも厳密な意味でのキャバレー・ソングはほとんど含まれていない。ヴァイルの4曲はどれも芝居のために書かれたし、ホレンダーの「頭からつま先まで愛でいっぱい」は映画『嘆きの天使』の挿入歌だ。ボルコムの曲はれっきとしたコンサート・ピースにほかならない。にもかかわらず、こうして集められた独・英・米の歌たちには明らかに親和性があり、キャバレー・ソングならではの人肌の温もりを感じさせる。
スウェーデンの歌姫エルンマンの歌唱は表現力に富み、変幻自在、特にボルコムの12曲は創唱者ジョーン・モリスに迫る名演となった。
──『クラシックプレス』第十号(2002年春号)のCD Reviews より
いやはやお恥ずかしい文章だ。字数の制約があったにせよ肝腎の歌唱に殆ど触れていないのだからお粗末である。それでも逸早くこのディスクをつぶさに聴いて日本で初めて紹介できたのだからよしとしよう。