どうにも在宅作業が捗らない一日。やはり体がへばっているのだろうか。
少し前に手にしてからずっと愛聴しているディスクを今日もまた聴く。
"Debussy, Bach/ Yvonne Lefébure"
ドビュッシー:
玩具箱*
バッハ:
前奏曲とフーガ 嬰ハ長調 ~「平均律クラヴィーア曲集」第一集
ピアノ協奏曲 二短調 BWV 1052**
語り/ピエール・ベルタン*
ピアノ/イヴォンヌ・ルフェビュール
フェルナン・ウーブラドゥー指揮 フェルナン・ウーブラドゥー室内管弦楽団**1957年11月、1971年2月、1957年10月(サル・ガヴォー実況)、パリ
Solstice SOCD 258 (2010)
イヴォンヌ・ルフェビュールの「玩具箱」が遂にCD化された。
もともと録音の少ない彼女が珍しくフランス Polydor に録音した古い音源である。小生はたまたま巴里で見つけたその再発盤25センチLPを永らく大切にしてきた(仏Philips S 05.801 R)。何が貴重かといえば、これが(おそらく)この曲の史上初の朗読入りヴァージョンであり、しかも語りを往年の名優
ピエール・ベルタン Pierre Bertin (1891~1984)が担当していることだ。
ベルタンは映画出演もなくはないけれど主たる活躍の場はやはり舞台だった。芸歴はきわめて永く、戦前・戦中とコメディ=フランセーズに在籍し、戦後はジャン=ルイ・バロー一座にも加わっているが、どちらかというと脇を固める地味な存在だから日本で彼の名を知る者は少なかろう。
われら音楽ファンにとって彼が
エリック・サティと昵懇の間柄だった事実が見逃せない。サティ自作の劇『
メドゥーサの罠』初演(1921)で主役を務めたのはベルタンその人だったし、
ジャン・コクトーと
フランス六人組(のうちの五人)の共作バレエ『
エッフェル塔の花嫁花婿』の初演時(1921)には、コクトーとともに「人間拡声器」役で舞台進行を司った。そうそう、彼はその当時ピアニストの
マルセル・メイエールの伴侶でもあったのだ…とここまで書くと、いかにもフランス近代音楽史上に無視できない存在のように思えてくるであろう。
ベルタンはその後たしか名女優マドレーヌ・ルノーと再婚していた時期もあり、離婚後そのルノーの年若い夫となったジャン=ルイ・バローとずっと行動を共にしているのだから面白い。全く役者という連中は…。
そんなわけでルフェビュール=ベルタン共演による「
玩具箱」はなかなか興味津々の聴きものなのだ。少なくもドビュッシー好きには一聴に値しよう。
忘れないうちに書いておくと、ドビュッシーの『
玩具箱 La Boîte à Joujoux』はもともと朗読を伴う音楽ではない。挿絵画家
アンドレ・エレ André Hellé のプロットによるバレエとして構想されながら、1913年にピアノ譜が出たあと作曲家は多忙と重病のため管弦楽化の中断を余儀なくされた。アンドレ・カプレの手でオーケストレーションが完成し舞台上演されたのは歿後一年経った1919年だった。同年デュラン社が出版したエレの挿絵入り絵本仕立ての楽譜(
→これ)にはところどころ簡単な筋書が記されてはいるものの、首尾一貫した物語というには程遠い。
したがってピアノ版にせよオーケストラ版にせよ、本来がバレエ音楽にほかならない『玩具箱』をナレーション付きで演奏するには新たに朗読台本を拵える必要がある。
空にキラキラ お星さま
みんなスヤスヤ 眠るころ
おもちゃは箱を とびだして
踊るおもちゃの チャチャチャと巧みに描写したのは野坂昭如(と吉岡治)だったが、なるほど『コッペリア』『妖精人形』『胡桃割り人形』『風変わりな店』から『トイ・ストーリー』まで、夜中に人知れず人形たちが目覚めて動き出す、というプロットは古今枚挙に暇がない。この『玩具箱』もまさにその流儀により子供向けバレエとして考案された。登場人物はすべて人形。若い娘、小さな兵隊、巡査、船乗り、黒人、道化のポリシネル、アルルカン、ピエロ、羊飼の男女などが次々に現れて他愛のない物語を繰り広げる。玩具箱は人間たちの知らない「もうひとつの世界」なのだ。現世を映し出す鏡かもしれない。
Les boîtes à joujoux sont des sortes de ville et les jouets y vivent comme des personnes à moins que les villes ne soient des boîtes à joujoux dans lesquelles les personnes vivent comme des jouets, mais cette histoire se passe dans une vraie boîte à joujoux.
おもちゃ箱は町みたいなもので、おもちゃがまるで人間のように暮らしています。むしろ、町がおもちゃ箱そっくりで、人間がおもちゃみたいに暮らしているのかもしれません。これからお聞かせするのは本物のおもちゃ箱のなかで起こったお話です。弾むような口調でいきなりベルタンが語り出す前口上はこんな具合だ。手許のいくつかのディスクと概ね同じだが、細部が必ずしも一致しない。この曲に関する限り、決定版と呼べるようなテクストは存在しないのだ。
それにしても流石に若い頃から音楽家と密接に交流してきただけのことはある。ベルタンの口調はこれまで耳にしたどのナレーション(クロード・ドーファン、ドニ・マニュエル、ソフィー・マルソー、井上道義 etc.)よりも音楽的だ。ルフェビュールのピアノとぴたり平仄が合うばかりか、朗読そのものが音楽を紡ぎ出しそうな勢いなのである。ひょっとしてナレーションはピアノと同時録音されたのではないか。そう感じさせるほど生の感興に満ち溢れた語り口なのである。
1957年という年代から考えると録音は思わしくない。どうやらレコード会社に原テープは現存しておらず、LPディスクからじかに採録されたのであろう、強音はしばしば歪んで混濁する。それでもルフェビュール特有の活気に満ちた打鍵の特色はよくわかるし、なによりベルタンの語りとの相乗効果が好もしい。ともあれ彼女にとってこれが唯一の『玩具箱』の録音なので今回の覆刻はきわめて価値が高い。
併録されたバッハの協奏曲も値千金。『玩具箱』のちょうど一箇月前にパリのガヴォー楽堂で収録された実況録音である(国立視聴覚研究所の提供音源)。共演相手が伝説的なウーブラドゥーの室内楽団というのも嬉しい限りだ。