上京ついでに早稲田で途中下車し、演劇博物館に立ち寄ってみた。ちょっとだけ覗いてみようと思いたったのだ。「
チェコ舞台衣裳デッサン画展 現実から想像へ」という小企画。ところが「ちょっとだけ」ではとても済まなかった。これが驚天動地の展示だったのである。手の舞い足の踏むところを知らず。震えが止まらなくなる。
端っこの小さな一室だけを使った作品数五十のささやかな展示だからといって侮ってはいけない。そこには両大戦間にプラハで花開いた自由で破天荒な演劇文化のエッセンスが凝縮された形で封じ込められている。この部屋に足を踏み入れて震撼しないほうがどうかしている。
なにより目を瞠ったのは
ヨゼフ・チャペックの衣裳デザインの数々。弟カレルと共同執筆した『
虫の生活』(1920)がある、自作の『名の多き国』(1923)がある、フランスの劇作家ルネ・フォーショワ(フォーレの歌劇『ペネロペ』の台本作者にしてジャン・ルノワール監督作品『素晴らしき放浪者』の原作者)の芝居『猿は語る』(1925)がある。しかもそれぞれの作画スタイルが演目に応じてキュビスム風あり、戯画風ありと頗る変化に富む。しかも抜群のセンスを感じさせるものばかりだ。ヤナーチェクの歌劇『
利口な女狐の物語』プラハ初演時(1925)の衣裳デザイン(蜉蝣と蝙蝠)も貴重このうえない。
嬉しかったのはドビュッシーのバレエ『
おもちゃ箱』のプラハ上演(1925)のための衣裳デザイン画が二点あったこと(家鴨番とポリシネル)。パリ初演から僅か六年でこのバレエがチェコ初演されている事実にはちょっと驚かされる。バレエ・シュエドワがこの演目をレパートリーにしていたのと全く同時代なのだ。ヨゼフ・チャペックの考案した衣裳はオリジナルのアンドレ・エレ作のデザインに一歩も引けをとらぬ愉しさである。観られてよかった。眼福とはこのことだ。
カレル・チャペックの世界的ヒット作『
ロボット(R. U. R.)』(1921)の舞台デザイン画が将来されたのも特筆すべき「事件」であろう。作者は建築が本業の
ベドジフ・フォイエルシュタイン。高名な『ロボット』の世界初演時の舞台デザインという興味は勿論だが、加えてこのフォイエルシュタインは1926~30年には日本に滞在し、アントニン・レーモンドと協働してかの
聖路加国際病院の設計に携わった人でもあるのだ。この件に関しては古書日月堂のサイトに懇切な解説がある(
→ここ)。
フォイエルシュタインで更に吃驚したのは、彼がパリで
バレエ・シュエドワのために制作したポスターの下案(1921)が出品されていたこと。フォイエルシュタインがこのバレエ団のために仕事をしていたとは寡聞にして知らなかった。描かれた演目は『
愚かな乙女たち Les vierges folles/ De fåvitska jungfrurna』であるが、このバレエそのものの舞台美術は別人の仕事(Einar Nerman という人)なので、彼はポスターを描いたに過ぎないのだが、それでも驚きであることは変わらない。
(明日につづく)