引き籠ってばかりもいられない。幸い今日は雨も上がり清々しい朝だ。窓を開けて部屋の空気を入れ替え掃除機をかける。台所と風呂場を掃除し、溜まってしまった郵便物や雑多なチラシを片付ける。
その間、LP時代に親しんだきり永らく耳にしていない
プロコフィエフの交響曲全集をかける。何十年ぶりだろう。
《プロコフィエフ:交響曲全集》
プロコフィエフ:
交響曲 第一番「古典交響曲」
交響曲 第二番
交響曲 第三番
交響曲 第四番(改訂版)
交響曲 第五番
交響曲 第六番
交響曲 第七番
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
モスクワ放送交響楽団
1962~67年、モスクワ
ビクター Мелодия VICC-40078/81 (1991)
言うまでもないことだが、これがプロコフィエフの史上初の交響曲全集(ただし第四交響曲の初稿版は未収録)であるとともに、新進気鋭のロジェストヴェンスキーの名を決定的に印象づけた歴史的名演である。
もっとも小生はこのうち第一、第五、第六、第七(当時は「青春」と綽名されていた)しかLPで架蔵しておらず、あとはラジオか上野の文化会館の資料室でしか聴いていないはずだ。そのかわり所有している四曲については高校生時代それこそ擦り切れるほど愛聴した。思えばこれがプロコフィエフとの本格的な出逢いだった。
ボリショイ劇場でバレエを振って早くから頭角を現したロジェストヴェンスキー(有名なウラーノワ主演のバレエ映画『ロミオとジュリエット』のサウンドトラックは若き日の彼の指揮である)は1960年代に入るとモスクワ放送交響楽団(当時の呼称ではモスクワ・ラジオ交響楽団)の常任も兼任し、プロコフィエフを中心とするオーケストラ曲の演奏・録音にも旺盛に取り組んだ。
思い返せば1959年、作曲者の死後も永く顧みられなかったプロコフィエフの第四交響曲の改訂版(1947)の世界初演を実現させたのはロジェストヴェンスキーその人だった(同年にソヴィエト国立管弦楽団を指揮して世界初録音も残している)。したがって、放送交響楽団のシェフとして1960年代の数年間を費やして「国家事業」として録音したこの交響曲全集でも、当然ながら第四番は愛着のある改訂版のほうを採り上げている。流石にこの複雑で長大なスコアの隅々まで知り尽くした初演者だけのことはある、些かの曖昧さを残さぬ確信に満ちた解釈に圧倒される。
それにしても三十代半ばまでに順風満帆これだけの業績を成し遂げたのだから、つくづくロジェストヴェンスキーは幸福な指揮者だったと思う。
こうして七曲の交響曲を番号順に通して聴いてみると(そんな体験は初めてである)、ロジェストヴェンスキーの途轍もない楽曲把握力は七曲のうちの偶数番の三曲にこそ十全に発揮されている感が強い。
(まだ書きかけ)