「
つまり、なつかしさの正体は、一種の自己愛なのだ」とは福岡伸一さんの名言(昨日知ったばかりだが)であるが、ええい、なあに構うことはあるまい、懐かしさにかまけて性凝りもなくまた書いてしまおう。
四十年前のコンサート体験の続きを思い出さねばならないのだが、その前に、ほかでもない、「
ひょっこりひょうたん島」のことを、だ。
先に
井上ひさしの訃報に接して小生はこんなふうに回想した。
この年(=1964年)
に始まったTV人形劇『ひょっこりひょうたん島』を貪るように観ることで、小生は初めて「登場人物がここぞという場面でおのれの感情を歌で表現する芝居」、すなわち「ミュージカル」なるものの途轍もない面白さを知った。この笑いと涙、機知と諷刺の音楽劇、人情とナンセンスとスラプスティックの絶妙なアマルガムを通して、人間の素晴らしさと愚かしさ、単純さと複雑さを思い知らされた。
まだまだ言い足りない、うまく言えないともどかしさを感じてならなかった。
このあたりの機微を見事に言い当てている評言を(かなり前に拙ブログを訪問されたこともある)リチアさんのサイト「
リチア雑記帳」のなかに見出した。リチアさんがご友人のアタカマさんと繰り広げる人形劇談義「
TV人形劇めっちゃんこ放談」の一節である。断りなく長々と引用するのを許していただきたい。出典は
→ここ。
ア: 次64年。「ひょっこりひょうたん島」。やっぱり金字塔よね、これ。
リ: 人格形成期にこれ見ちゃったからねー。「色んな人がいていいんです」という事を教わったかな。パペットがモダンで動きもシャープ。あと、やっぱりミュージカルとしての質がすごく高い。コーラス、群舞、レシタティボ、掛け合い...歌の間に別の回想シーンやら想像上のシーンを入れ込んだり、とかミュージカル映画のお約束はほとんどこれで馴染んだような気がする。最初にMGMのミュージカル見た時、ガバチョのかわりに人間がやってるだけだって気がして「路上で突然ヒトが歌い出す世界」に全く違和感を憶えなかったな。
ア: とにかく強烈な個性のヒトばっかり出ていたわね。
リ: それに単純な「ええもんとわるいもん」という分類がないでしょ。ガバチョは政治屋で自分の利益をまず考えるし、嘘つくし、自己顕示欲ばっかり。でも根が善意の人で、一応島民の事思っている。とにかく彼の楽天主義でみんなが纏まっているしね。わたしゃ落ち込んだ時には彼のテーマソング「未来を信じる歌」を今でも歌います。
ア: ダンディさんは「ええもん」じゃないの?
リ: 過去からの精算をすると一番「わるいもん」でしょ。どこで改心したか全く描かれていないけど、命がけで人助けばかりしているのは贖罪かもしれない。子供の頃は単に格好いい、と思っていたけど、今みると結構やせ我慢とカッコつけの人なんだな。でもそこら辺をしっかり自覚して、なおかつこのスタイルを崩せない、という己を自嘲している理性的で醒めた所がこの人の魅力。ごく一部はジョージ・ラフトがモデルの様な気がする。
ア: 「ボレロ」のちょっと崩れた甘い二枚目ね。「お熱いのがお好き」にも出ていたおじさま。
リ: そう、実際に暗黒街出身で映画スターになった人。昔「バラエティ」誌でラフトの経歴に「アクターズスタジオ通信教育課程」というのを見た憶えがある。ひょうたん島のエピソードの中にも「人生をシカゴでなくハリウッドで始めていたら」とか「まさかオレを主演にしてギャング映画を作ろうっていうんじゃないだろうな」とかいうような映画界に未練があるような意味合いの台詞がある。映画「コットンクラブ」でリチャード・ギア演じる主人公ディキシーは最後にギャングの抗争から抜け出してハリウッドへ向かうけど、彼のモデルもラフトじゃないかな。
ア: ダンディさんは「ハリウッドへ行き着けなかったラフト」なのね。
リ: そしてダンディの対極にあるアルターエゴみたいな存在がトラヒゲ。人間的な欠点を全部さらけ出して生きている、という感じ。悪事も結構するけど、深い計算がなく、結局は皆に愛され、何度でも許されている。でもそこらの自覚はない。逆にダンディはどれだけ他人を助けようとも、自分は許されるべき存在でない、と思い続けている。でも2人とも人間より上の存在からみたらとっくに許されているんだろうけどね。ここらへん何か宗教的なもの感じちゃう。上手く言えないけど。
ア: それってやっぱり脚本の井上さんやプロデューサーの武井さんがクリスチャンだったから、ということなの?
リ: ん~、実は我が家はブッディストだからキリスト教の教えはよくわからない。
ア: いい加減な事を言うと神様か仏様かどちらからか知らないけどバチが当たるわよ。
リ: で、最後は出血多量のダンディが血液型が同じトラヒゲの輸血によって命をとりとめるんだ。実は島民がよってたかって無理矢理採血したんだけどね。それまでトラヒゲは国際警察にダンディを売ろうと思っていたけれど、この後、単純に「血を分けたんだから兄弟になったんだ、兄弟を売ることはできねえ」と思い直す。正反対の人格が最後に1つに統合される、という事を象徴していたような気がする。
ア: 私は単にトラさんとダンディさんが同じ血液型だという事がショックよ。もう血液型占いなんか信じないわ。で、何型だったの??
リ: 結構気にしてるね。島民の中で二人だけがO型。
ア: ヒロインのサンデー先生はどう?
リ: ペネロープと張り合える美女。ひょうたん島で過去にマトモな社会人だった唯一の人。自分の教育理念と建前と子供への愛情との間で揺れてる。大人になってからみるとこの人の悩みには結構共感できるね。その一方でダンディに言い寄ったりするけど。
ア: 結構子供達の前で彼にモーションかけてるのよね。
リ: あの辺の脚本の巧さ、凄いねえ。米国ドラマに出てくるようなドライな感覚でさらっと女の面をみせている。これがまた効果的なんだな。キャラとしては彼女はペネロープよりずっと面白味があるよ。
ア: ほいでもってトラヒゲも交えて三角関係でしょ。
リ: 最初にトラヒゲがマザコンというのを提示してるからか、そこらはあまりドロドロしないんだよ。
ア: でも当時子供番組にマザー・コンプレックスという言葉を引っぱり出してくるとは凄いわね。
ア: ご贔屓パペットは?
リ; レギュラーはみんな好き。特定のシリーズだけなら、4人の海賊、お口の可愛いポスケット王、クールなピッツ長官、電気掃除機に乗ったマジョリカ、生真面目死神のメロメロス...数え切れないな。後期になると結構人間に近い顔のパペットも登場するね。改心した後のウクレレマン・ダンとか。
ア: あれ、ハンサムな人形だったわあ!
リ: 中身はゴリラのギャングだけど美容外科で生まれ変わった美男、という設定だったからね。酋長さんも好きだったけど今じゃ「政治的に正しくない」表現というのにひっかかるのか、リメイクにも出なかった。酋長さんを出せないとタムレシリーズ、ブルドキアシリーズのリメイクができないんだよ。本来の人形のデフォルメと人種的特徴を差別的に誇張する事とをどこで区別するかは難しい問題かもしれないけど、酋長がダメでトウヘンボクはOKというのもなんだかよくわからない。
ア: 私はトウさんも酋長さんも大好きだったわよう~。ホントに色んな世界の色んな人がみな生き生きと動き回って楽しい作品だったわね。
リ: そう「何でもアリ」。ミュージカルタイトル風に言えばエニシング・ゴーズでオール・ザット・ジャズです。最終週はきっちりとみられて幸せでした。
いやあ、マシンガン・ダンディが「
ハリウッドへ行き着けなかったジョージ・ラフト」だ、と喝破するくだりには脱帽である。別のところでリチアさんは、「口先で人を丸め込もうという政治屋」ドン・ガバチョと「失敗続きの実業家」海賊トラヒゲの迷コンビを
ビング・クロスビー、ボブ・ホープの珍道中シリーズに擬えたりもしている。「小狡いおじさんと損するおじさんとが漫才みたいな掛け合いをして時々歌い出す、というパターンが似ているような気がした」というのである。蓋し卓見というべきだろう。