(承前)
今から思い返すとこの日のプログラム構成は些か変則的だった。
オネゲル: 交響曲第3番「礼拝」
マルタン: フルート、弦楽合奏とピアノのためのバラード
(休憩)
リヒャルト・シュトラウス: 4つの最後の歌
リヒャルト・シュトラウス: 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
いきなりオネゲルの晦渋な交響曲で始まり、わずか七、八分のマルタンの小協奏曲で前半が終了。後半は一転してシュトラウスの歌曲集と交響詩(それも「ティル」だ)。「スイス音楽の紹介」の役目は果たせるにしても、一夜の演目としてはなんともバランスが悪く起承転結が整わない。終盤の盛り上がりにも欠ける。
まだオーケストラ初心者だった高校生はさぞかし緊張した面持ちで早々と行儀よく座席に着き、開演時間までプログラム冊子を熟読したことだろう。いやはや。
席番は「
1-D-28」。一階平土間四列目ど真ん中という良席である。
ほどなく客席が八割がた埋まり、楽団員が三々五々着席してチューニングが始まる。うぶな高校生は演奏会慣れしていないので、それだけで心臓がドキドキする。生唾を呑みこむゴクリという音が自分でもわかる。こちらが緊張してどうするのだ。
眼鏡をかけた指揮者が足早に登場する。まだ三十そこそこだろうか。颯爽とした若さが発散される。
外見の印象からは岩城宏之や小沢征爾や若杉弘(その当時の「若手」たち)よりも更に若くみえた。それもそのはず、この時点でシャルル・デュトワは弱冠三十三歳。ベルン交響楽団の常任だというが、まだ国際的知名度はゼロに等しい無名指揮者に過ぎなかった。まだレコードも一枚も出ていなかったはずだ。すでにスイス国内ではすでに実力を認められているのだろう、こうして一国を代表して「スイス音楽」を振るミッションを付託され初来日を果たしたわけである。
そして静寂。指揮棒が一閃し、いきなりつむじ風が巻き上がるような不穏な音形が弦楽に生じ、ほどなく有無を言わさぬ峻厳さでオーケストラ全体を抗いがたく激烈な大嵐へと拉し去っていく。思わず身が引き締まる。この瞬間の息づまる緊迫感を四十年後の今もわが身にまざまざと記憶している。
ここからあとは先日ようやく発掘した当時の音楽ノートから書き写してみる。もとより田舎の高校生の稚拙きわまる作文に過ぎないが、それでも四十年経てば幾許かの資料的価値も出てきはしないか。
シャルル・デュトアが現れる。いかにも若々しく、愛想のよさそうな感じ。背が高く、指揮ぶりは明快である。ときおり腕をまっすぐ伸ばして指示を出すのは写真で見たとおりだ。左手の薬指には指輪が嵌められていて、それがキラキラ輝くのがひどく印象的。
オネゲルの交響曲第3番。この曲は第2番ほど好きにはなれないが、それでも何回かレコードで聴くうちに耳になじんできた。演奏は特に第2楽章がよかった。それから第3楽章の最後の、静けさのなか小鳥がさえずる部分も。第3楽章の始まりの行進曲風の部分は思ったよりもゆっくりと奏された。ただ全体として、もう少しぶ厚い響きがほしかった。
振り終えてこちらを向いた彼はにこにこと陽気な笑顔で拍手に応えていた。
演奏そのものよりも先に、指揮者の手指の結婚指輪にすっかり注意を奪われている体たらくが我ながら情けない。
それでも一人前に「全体として、もう少しぶ厚い響きがほしかった」などと偉そうに註文をつけているのが可笑しい。もっとも、予習のためにレコードで聴き馴染んだチェコ・フィルの芳醇なソノリティに較べるまでもなく、当時の読響の合奏能力は甚だ薄っぺらで貧弱だったから、初心者の耳すらも欺かれはしなかったのだろう。
(明日につづく)